1560年代にマニエリスムの画家ジュゼッペ・アルチンボルドが描いた《司書》。しおりが髪の毛や指のように描かれています。
紙の書籍を愛好する人にとって、しおりは読書の上での大事なパートナーです。
とくに書籍の劣化が気になる方にとっては、ページの端を折る、本を開いたままにしておくことはもってのほか、しおりは必須アイテムです。
読書を中断する際にページに挟むだけではなく、心に残るフレーズが記されたページにしおりを使用する人も多いでしょう。
このしおり、歴史の中にもその足跡を残しています。
それでは、読書における名脇役、しおりに注目してみましょう。
しおりの起源がいつ頃にあるのか、詳しいことはわかっていません。しかし研究者たちのあいだでは、過去の読書愛好家たちはしおりを使用していたと考えるのが自然だという意見で一致しているようです。
書物の主流が巻物から綴じになった中世に、しおりの起源があるのではないかといわれています。
これまでのところ最も古いしおりとされているのは、1924年にエジプトのサッカラ近郊の修道院遺跡から見つかったものです。6世紀のコプト語の古書に付随していた、レザー製のしおりがそれです。
15世紀に入ると、多くの絵画にしおりが登場するようになりました。
たとえば、15世紀ネーデルランド派の巨匠ヤン・ファン・エイクが1435年頃に描いた《宰相ロランの聖母》では、聖母とイエスに向かい合う宰相の姿が見えます。その手元にある聖書には、ボタンに棒がついたようなしおりが描かれています。
また、1470年頃にカルロ・クリヴェッリが作成した《ポルト・サン・ジョルジョの祭壇画》の左翼である《聖ペテロと聖パウロ》でも、向かって左の聖人パウロが持つ聖書に、しおりが挟まれています。
1445年頃にナポリの画家コラントニオが描いた聖ヒエロニムスの書斎にも、しおり付きの本が描かれています。
パウロやヒエロニムスといった聖人たちを描いた作品には、その博学ぶりを象徴するアイテムとして、こうしたしおりを頻繁に目にすることができるのです。
しおりを描いた傑作といえばこれを外すわけにはいかないでしょう。
冒頭に紹介したアルチンボルド作《司書》です。
頭部にあたる書籍の部分からまばらに飛び出しているしおりが髪の毛のようになっており、腕にあたる真っ白な本から幾枚か飛び出ているしおりは指の役割を果たしているという愉快な作品です。
当時からすでに、しおりを愛用していた人が多かったことを示しうる作品かもしれません。
イタリアの文学者ガブリエーレ・ダンヌンツィオは、しおりの代わりに葉や花を使用していたといわれています。
ヨーロッパのいくつかの国々では、19世紀に入ってから、しおり代わりの紐が書籍に縫い付けられるようになりました。富裕層は、レザーや銀のしおりを愛好することも多かったようです。
19世紀から20世紀にかけて興ったアールヌーヴォーの時代には、女性たちのあいだでリバティプリントのしおりやファムファタールを描いたしおりが大流行しました。
1930年代に入ると、しおりは企業の広告媒体のひとつになります。お菓子や飲み物の会社が、高名なイラストレーターにデザインを依頼したしおりを広告として使用したのです。数枚のしおりでひとつの絵となるシリーズものもあり、今もコレクターたちに愛されています。日本でも、人気の芸術家アルフォンス・ミュシャが美しいしおりを手掛けたことが知られています。
また、エルマンノ・デッティ、モーリス・リッカーズ、エンリコ・ストゥラーニなどのジャーナリストたちはしおりに関する著作を残しています。1995年にはイタリアのミラノでしおりをテーマにした展覧会が開かれたことも、しおり愛好家のあいだではよく知られています。
ヨーロッパ各地の観光地では、風景や美術をテーマにしたしおりが現在もお土産として販売されていて、その文化が決して過去の遺物ではないことを目にすることができます。
こうした美しいしおりの数々も、紙の書籍だからこそ楽しめる文化の一端といえるでしょう。
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