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写字生たちの命? 写本のインクの色を生み出したレシピと時代背景とは

マニフィカトの聖母の一部
1481年にボッティチェッリが描いた《マニフィカトの聖母》の一部

印刷がなかった時代、書籍は「写字生」と呼ばれる人々の手作業で書き写されていました。彼らの写本を眺めると、その文字の美しさにくぎ付けになります。
よく見ると、使われているインクは黒色だけではありません。茶色や藍色など、さまざまな色で文字が書かれています。こうした色の相違は、インクの材料や製法の違いに起因しています。
古代から中世にかけて、インクに関する様々な研究が各地でおこなわれました。より良いインクを求め悪戦苦闘する人々の努力が、写本の文字の色からは窺えます。

本コラムでは、インクの製法が古代から中世にかけてどのように変化したのか、それに伴いどのようにして様々な色のインクが誕生したのかをご紹介しましょう。

古代のインク

古代のインクは、炭を原料としたものが主流でした。例えばエジプトが発祥といわれる炭のインクは、蜂蜜や油、ゴムの樹脂や卵白などを加えて練ったものです。

インクの作り方については、紀元前1世紀の建築家ウィトルウィウスの『建築について』や、紀元前1世紀の博物学者プリニウスの『博物誌』で言及されています。これらの文献には、煤をゴムの樹脂で練ったり、ぶどうのつるや木々を燃やしたものを加えたりといった工程が記されています。また、質のよいワインを加えると藍色に近いトーンのインクができたそうです。古代ローマの詩人ペルシウスやローマ帝政末期の詩人アウソニウスの記述からは、炭のほかイカの墨も原料となっていたことがわかります。

炭のインクから没食子インクの時代へ

中世初期の7世紀、ヨーロッパでは書籍に使われる紙がパピルスから羊皮紙へと移行しました。この移行の要因となったのが、本の形状の変化です。この当時、本は巻物から現在の書籍に近い綴じ本に変わりました。しかし、古代エジプト発祥のパピルスは片面にしか文字を書くことができなかったため、両面に文字を書く綴じ本には不向きでした。そこで、両面に文字が書ける羊皮紙を使うようになったのです。

パピルスに使用されていたインクは炭をベースにしており、羊皮紙に付着しにくいという性質がありました。そのため、羊皮紙に付着しやすいタンニンを多く含んだ、植物性の「没食子もっしょくしインク」が誕生します。
没食子──カシやナラの木の枝にできる虫瘤──を水やワインで煮込んでつくるこのインクは、後世の研究者泣かせといわれています。というのも、植物性のインクは腐食しやすく、羊皮紙を破損させてしまうためです。年月とともに文献が解読不可能になってしまうケースも、決して少なくありません。

このように、ヨーロッパでは羊皮紙に対応するため、さまざまな原料からインクの製法が試みられました。中世の写本には黒色だけでなく暗褐色や茶色のインクも使用されていますが、こうした色の差異も原料の違いから生じたものです。
例えば6世紀ヨーロッパでは、セイヨウサンザシやスローの木の小枝をふやけるまでワインに浸すことでインクを生成していました。また、色を濃くするためにばん類(硫酸を含む鉱物)やランプブラックと呼ばれる油煙のすすも加えていました。7世紀には茶色のインクが流行し、8世紀には緑礬や輝銅鉱を加えた緑がかった色のインクへと主勢力が推移します。

いっぽうで、中世のアイルランドやアングロサクソン諸国では、黒色やこげ茶色のインクがより多く普及していました。雨水・ワイン・酢とともに、没食子・礬類が主な材料でした。

中世におけるインクのレシピ

時代は下って、15世紀に活躍した写字生ジャン・ル・ベークが記したインクのレシピは、以下のようになります。

材料
  • 高品質のワイン(赤・白いずれでも可)
  • ひびの入った没食子 約300g
作り方
  1.  没食子を12日間ワインに浸ける
  2.  毎日よくかき混ぜる
  3.  12日が経過したら布でろ過し、鍋で沸騰させる
  4.  火からおろして冷めたら、4オンスのアラビアゴムの樹脂を入れてよくかき混ぜる
  5.  半オンスの緑礬を加える

 

こうした自家製のインクは、写字生たちの間でも秘伝とされることが多かったそうです。同業者間でのライバル意識から、競合相手に技術が漏洩することを恐れたのかもしれません。

17世紀から18世紀にかけては、インクの主原料はほぼ変わらず受け継がれました。17世紀ヴェネツィアの医師ペトゥルス・マリア・カネパリウスによれば、上記の材料に加えて非常に酸味の強い酢を使用し、できあがったインクはガラスの瓶に保管したとされています。ガラスの瓶に入れるのは、太陽光や空気に触れることを避ける目的があったそうです。

ちなみにカネパリウスのインクのレシピには、白ワイン・酢・没食子を煮てアラブのゴム樹脂と混ぜたあと、再び煮詰める際に「主の祈りを3回」唱えるとあります。分数ではなく、主の祈りの回数で時間を計る点に、中世のエスプリを感じます。

ページ冒頭の大文字は赤いインクで

写本の多くは、ページ冒頭の文字を大きく赤いインクで記すのがふつうです。高価な聖書や儀典では金や銀が使用されることもありましたが、それほど高価ではない通常の写本では、冒頭の文字は赤色のものが大半でした。
ちなみに、イタリア語では「項目で分ける」ことをrubricareといいます。これは、写字生たちが見出しに赤色(rubrum)を使ったことに由来しています。

写本を見る機会があったら、紙面を彩る美しいインクの色にもぜひ注目してみてください。その裏には、写字生の苦闘や紙の変化など、果てしない歴史のロマンが広がっているのです。

参照
  • Tutti i libri del mondo. Storie di carta e inchiostro Mario De Martino著 Formamentis刊
  • FORMA VRBIS Settembre 2012 P.26-30  E.S.S. Editorial Service System刊
  • 運営元:New Digital Frontiers S.r.L.
     該当ページ名:Breve storia dell’inchiostro(Carlo Pastena著)
    https://www.lidentitadiclio.com/breve-storia-dellinchiostro-parte-prima/
  • 運営元:Giovanni Treccani S.p.A
     該当ページ名:エンチクロペディーア・イタリアーナ(inchiostro)
    https://www.treccani.it/enciclopedia/inchiostro/(Enciclopedia-Italiana)
  • 運営元:Giovanni Treccani S.p.A
     該当ページ名:エンチクロペディーア・イタリアーナ(pergamena)
    https://www.treccani.it/enciclopedia/pergamena_%28Enciclopedia-Italiana%29/
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