書籍が高価であった時代には、それを所有することは富の象徴でもありました。ステイタスシンボルとして書籍を収集した王侯貴族も多かった一方で、国庫の状況など度外視してそれを買い求める情熱を持った王様がいました。その充実した書庫は、大文学者ボッカッチョにも影響を与えたといわれています。
この王様、買い求めた書物をお供に夏の休暇を過ごす際には、書斎を飾る花まで調達したという凝り性でした。南欧のさわやかな風の中で、花の香りに包まれて読書にいそしんだ王様のお話です。
ペトラルカが古代ローマ時代の書物に固執し、各地で数世紀ものあいだ眠っていた書籍を収集していたのは有名な話ですが、その後を継いだのが同じく文学者のボッカッチョでした。ペトラルカよりも10歳ほど年下のボッカッチョが、ペトラルカに出会ったのは、聖年の1350年頃。2人はそれぞれ40代と30代後半、文学者としても成熟しつつあった2人の、幸福な出会いでした。
各地に埋もれている書籍を追い求める情熱では引けを取らなかった2人ですが、友情とともにライバル意識も存在していたようです。ボッカッチョは後年発見したモンテカッシーノ修道院での大発見を、師にあたるペトラルカには秘匿していたこともありました。
そのボッカッチョ、若き時代にはフィレンツェ屈指のバルディ銀行に勤める父に連れられて、ナポリの宮廷に出入りをしていました。
このときの王様の書庫が、後年のボッカッチョに大きな影響を与えたといわれているのです。
当時のナポリの王様は、アンジュー家のロベルト1世。1277年のこの王様は、ボッカッチョよりも36歳ほど年上です。
「賢明王」の通り名もあるロベルト1世は根っからの本好きで、彼の宮廷には数多くの筆者職人、細密画職人、製本職人、そして翻訳者が出入りしていました。
ペトラルカはラテン語に精通していたもののギリシア語は不得手で、ゆえにコレクションする書籍はラテン語一辺倒でした。いっぽう、一国の王様ともなるとその収集ぶりもかなり鷹揚なスタイルを貫いています。
ロベルト1世は、自身は読むことができないアラブ語、ヘブライ語の書物も次々にコレクションに加えていきました。当時のアラブは、医学や数学の分野では一頭地を抜く存在でした。そのため、これらのアラブ語の書籍が宮廷の翻訳者によって翻訳され、美しい細密画で飾られ、製本されたのです。
あるとき、南仏のプロヴァンスでイブン・スィーナーの書物が発見されたというニュースがナポリの宮廷に届きました。
ロベルト1世は、ナポリ王であると同時にプロヴァンス伯でもあったのです。ただちにマルセイユの大司教に手紙を送り、あらゆる手段を尽くしてこの書物を探し出し、国庫が空になってもいいから購入しろ、と命令しました。
それだけではありません。入手したイブン・スィーナーの書物は、なるべく早くかつ確実で安全な手段でナポリまで送るように、と厳命しています。
王様としての多忙な責務の合間にこれだけ細かな指示をしていたロベルト1世、どれほど嬉々とした思いでその書物を受け取ったことでしょう。
ちなみに、高価だ高価だといわれる当時の書物は、具体的にどのくらいの値段であったのでしょうか。
ロベルト1世が、フィレンツェのブオナコッルシ商会に命じて『ローマ法大全』を購入した時の記録が残っています。それによれば、『ローマ法大全』の価格は60オンス。当時、最高の高給取りといわれた公証人の月収が2オンスであったことを考えると、いかに高額であったことかがわかります。
1377年、つまりロベルト1世が還暦だった年の夏の歳出が古文書から知ることができます。
ナポリ王は代々、伝統的に夏季をカステッランマーレ・ディ・スタービアで過ごしていました。ここは、『フニクリ・フニクラ』という名曲が生まれた風光明媚な地です。
この年もロベルト1世はかの地へ向かっていますが、保養地に持参する書籍の数があまりに膨大でその輸送費が膨れ上がったほか、閑暇中の読書のための「バラの花代」までが計上されました。
愛する書籍とバラの花の香りに包まれた夏の休暇は、還暦の王にとってはこの世の悦楽であったにちがいありません。
さて、バルディ銀行の下っ端としてナポリの宮廷で働いていたボッカッチョですが、結局芽が出ず、その後彼の父はボッカッチョに教会法を学ばせたりしていますがこれもモノにはならず、結局彼は文学の道を歩むことになります。これも、若き日に出入りしたロベルト1世の書物コレクションの影響が少なからずあったのでは、というのが衆目の一致したところなのです。
そして、ボッカッチョの研究者たちが、こぞって彼とロベルト1世の書庫との関連を支持するのには、もうひとつ理由があります。それは、ボッカッチョの友人として知られるパオロ・ダ・ペルージャという法学者が、ロベルト1世の書籍購入顧問であったという事実です。
じつは、ロベルト1世が自身の宮廷に集めていたのは書籍だけではありませんでした。
地理学者アンダロー・デル・ネーグロ、ダンテの作品の注釈を書いたグラツィオーロ・デ・バンバリオーリ、歴史家パオリーノ・ミノリタなどなど、学問の境界を超えた才能がイタリア各地からナポリへと集まっていたのです。
ロベルト1世は、書籍だけではなく才能をコレクションする癖(へき)もあったのでしょう。「賢明王」の名に恥じない豪儀な振舞いです。
そして、このナポリ宮廷で過ごした日々が、文学者としてのボッカッチョに大きな影響を与え、ルネサンスの花を咲かせる一要因になっていったのです。
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