書籍の世界の革命者と呼ばれたアルド・マヌーツィオ(前ページを参照)が活躍した15世紀から16世紀、ヴェネツィアには200を超える出版業者が存在していました。扱われている書籍もグローバルで、当時のヴェネツィアが各国との交易で栄えていたことが書籍の世界にも反映されています。しかし当時の書店は、現代のそれとは様相を異にしていたようです。1520年代のヴェネツィアの書店をのぞいてみましょう。
1520年代、ヴェネツィアにはリアルト橋を中心に200を超える出版業者が軒を連ねていました。他の都市と比べてもその盛況ぶりは歴然で、最古の大学を擁するボローニャが50、ローマは30、フィレンツェは20の業者しかいなかったことを考えると、ヴェネツィアはまさに書籍の都でした。
現代と同様に、リアルト橋からサン・マルコ広場に抜けるメルチェリエ通りには、当時のヴェネツィアが誇ったメイド・イン・ヴェニスの織物や革小物を売るお店が並び、盛況を極めていました。なによりもこの地を訪れた外国人たちが一様に驚いたのは、この通りにある書店の多さです。ほかのヨーロッパの町では決して目にすることがなかった光景でした。
当時の書店は書籍を印刷する工房と一体となっているものが多かったようです。おそらく店の奥からは印刷をする音が聞こえていたことでしょう。
ローマ近郊に生まれ、ヴェネツィアに関するガイドブックともいうべきDel sito di Vinegiaを記した歴史学者マルコ・アントニオ・サベッリコは、「友人とメルチェリエ通りを歩こうとしてもまったく前に進まない。道沿いにある書店の書籍があまりに魅力的すぎるからだ」と記述しています。当時のヨーロッパで出版される書籍の半分は、メイド・イン・ヴェニスであったといわれています。同業者が多かったため、各出版業者は刊行点数だけではなく質にもこだわっていました。魅力的な本が並ぶこの道を、当時の知識人たちが興奮しながら歩いたことは想像に難くありません。
書店の前を素通りできない本好きの先輩方は、500年前のヴェネツィアにも存在していたのです。
当時の書店には、タイトルページのみが店先に並べられていました。というのも、アルド・マヌーツィオが安価な小型本を発明するまでは書籍も高額であったため、書籍そのものを並べておくと万引きする不届きものが後を絶たなかったためです。
また、買い手の注文に応じて装丁を製作することが多かったことも、タイトルページのみ展示されていた理由の一つです。つまり、客は欲しい書籍を選択して装丁のスタイルも注文し、後日書籍を受け取ることが多かったのです。購入者が聖職者であれば過剰な装飾は避けごくシンプルに製本され、富裕層の嫁入り道具の聖書となれば貴石を使用した超豪華版になるといった具合でした。書籍そのものよりも装丁のほうが高額になってしまうことも多かったようです。
さらには、印刷の時代になってもページ冒頭の文字は美しく装飾したものを好む人が多かったため、書籍によっては冒頭が空白のままになっており、あとから注文を聞いて装飾を入れるというケースもありました。つまり、この時代の書籍は、セミオーダーメイドで作られていたと言った方が分かりやすいでしょうか。書籍を買いたい客は、店主と書籍の内容や仕様について相談しながら購入していたのです。
ちなみに、店主のデスクにはペンやインクのほかに、法王庁から禁書扱いされた書物も隠されていました。このあたり、思想の自由があったヴェネツィアらしさといえるかもしれません。
また、常連の知識人たちが店先で議論を始めてしまうことも珍しくなく、さながら小さなアカデミーの様相を呈していたとも伝えられています。
店先に並んでいたのは書籍のタイトルページだけではありません。書籍のカタログも置かれていました。
この書籍カタログも、アルド・マヌーツィオが1498年に発明したものです。最初に登場したのは1498年のことです。カタログには書名のほかに値段、内容について短い説明が添えられていました。当時の書籍の購入スタイルでは「立ち読み」することは不可能であったため、知識人マヌーツィオの書評は購入する側にはありがたかったようです。1513年にアルドが残したカタログでは、近々出版される書籍についても触れられており、彼の経営者としての力を垣間見ることができます。
アルドが考案したこのカタログは、ヴェネツィアの同業者たちにも導入されて、店先に置かれていました。
ヴェネツィアの書店の蔵書数はどのくらいあったのでしょうか。これを知るには、アルド・マヌーツィオが活躍する少し前、1488年に閉店したフランチェスコ・デ・マーディという人の営業日誌が参考になります。
それによると、彼の書店の蔵書数は1360冊。タイトル数が380なので、1タイトルにつき3~5冊あったことがわかります。そのうちの25%はラテン語やギリシア語の古典、あるいはダンテなどの中世の作品で、まさに知識階級たちの必需品が占めていました。20%は宗教書で、7%が法律書に分けられています。法律書は特に高額で、書店の経営上無視できない存在であったことも営業日誌から見ることができます。1285年9月のマーディ書店の収入のうち約3分の1はたった7冊の法律書の売り上げでした。また、富裕な貴族の常連たちに対しては20~30%の割引をして販売していたこともわかっています。
現代の本好きは用もないのにふらふらと書店に入り、装丁に魅かれて衝動買いなどということが多々起こります。
500年前の書店ではそのような楽しみはなかったようですが、店主や一癖ある知識人たちのおしゃべりが店先でくり広げられていたことを想像するのは愉しいですね。
幻冬舎ルネッサンス新社では、本を作る楽しみを自費出版という形でお手伝いしております。
原稿応募、出版の相談、お問い合わせ、資料請求まで、お気軽にご連絡ください。
お問い合わせいただきましたら、担当の編集者がご対応いたします。
原稿内容やご要望に沿ったご提案やお見積もりをご提示いたします。
幻冬舎グループ特約店(150法人3,500書店)を中心とした全国書店への流通展開を行います。