小説の地の文章(セリフ以外の文章)をどの視点で描くのかによって、使われる人称が変わります。
大きくは一人称か三人称に別れますが、一冊の小説の中では、決めた人称で最初から最後まで書くことが基本となります。
〈一人称〉
「僕は」「私は」など登場人物の一人が語り部となり、語り部の主観で文章が作られます。
小説は語り部が主人公であることが多いですが、必ずしも主人公でなければらないということではありません。小説は語り部の視点で語られるため、語り部の言葉や心情をそのまま地の文章にできますが、語り部が知らないこと、見えていないことを小説に書くことはできません。
夏目漱石の『吾輩は猫である』はまさに一人称の作品です。「吾輩」という猫の視点で物語が語られています。
〈三人称〉
現在多くの小説は、三人称の「神視点」と「一元視点」で書かれています。
「神視点」の小説にも完全に客観的に書かれるものと、「神」として物語中の全ての出来事、心情を把握したものの二種類があります。前者の「神視点」では、小説内に登場人物の心情を描くことはなく、客観的な事象のみで文章を構成します。このタイプの小説は、読者に登場人物の心情を読み取らせることが難しく、最も困難な人称かもしれません。
次に後者の「神視点」では、神は作中の出来事を全て知っていることになるため、作中のどのような出来事も描くことができます。
三人称「一元視点」とは、ワンシーンだけ、または各シーンごとに登場人物の視点で地の文章を構成する小説です。主語は私、僕ではなく登場人物の名前などになり、一人称のように描くことができますので、比較的登場人物の心情を描きやすい小説といえます。ただし、複数の登場人物の視点が入り混じるようでは読みにくい小説となってしまいます。
小説を書く際に人称の決定は基本中の基本ですが、書いているうちに特定の登場人物に感情が入りすぎてしまうなどの理由で、気づかないうちに途中で変わってしまうこともあります。
地の文章を書く際は注意が必要です。
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