(『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』の著者によるコラムです)
被爆から11年後の1956年8月、被爆者は長崎にあつまり、「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)を結成しました。それまで沈黙を言居られていた被爆者が、はじめて声をあげたのです。その声は、「私たちの体験を通して人類の危機を救おう、ふたたび被爆者をつくるな」という、悲痛な心からの叫びでした。肉体的にも精神的にも最も苦しんできた被爆者自身が、「人類の危機を救おう」とよびかけたことに、私は胸がつかれました。
苦しみの中で核兵器廃絶のため活動を地道に続けてきた被爆者は2016年4月、世界に向かって行動を起こしました。それは「ナガサキ・ヒロシマの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」です。この行動開始の直後、広島、長崎の被爆から72年となる、今年の7月、核兵器禁止条約が国連で採択されました。これは核兵器の開発、生産、実験、製造、取得、保有、貯蔵、使用、威嚇の全てを禁止するものです。これは被爆者が強く望んできた、核兵器完全廃絶への道を開くものなのです。しかしこの条約の採択に、日本政府は参加を拒否しました。世界で唯一の被爆国である日本のこの態度に、私は心のそこから怒りをおぼえました。これが署名活動に取り組む原点となりました。
その行動の1つが、自分が住んでいる団地を一軒ずつ訪ねてお願いする、ということです。これまでも様々な署名活動を行ってきましたが、それは日ごろ交流のある身近な方々にお願いする、というものでした。しかし沈黙を強いられてきたことにあらわれている、被爆者の苦しみを想うと、「今度は団地のすみずみまで」と思わずにいられませんでした。
一歩踏み出し、最初のお宅でブザーを押すときの緊張は忘れられません。ドアがあき、「この団地に住んでいる山口ですが」と自己紹介して署名のお願いをしました。用紙を示しながら被爆者の長きにわたる活動を話していると、気持ちは落ち着いてきました。署名あと、「大事なことです。ご苦労様です。」のことばをいただいたときは、喜びで忘れられない一瞬になりました。
そのあとも玄関に立つたびに緊張しました。しかし庭、植木鉢の草花などのことも話せるようになりました。散歩しながら目に留まっていた花々、それを育てている方が分かったことで、散歩にも喜びが加わりました。勇気を出したことで生まれた喜びでした。
■著者紹介
『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』(山口紀美子・著)
1941年、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)に突入する。日本では多くの国民が徴兵され、戦場に向かうことになった。そんな時代に行われた学徒出陣で徴兵された若者たちの中に、木村久夫という一人の青年がいた。
終戦後、戦地であったカーニコバル島の島民殺害事件に関わった人物として、木村久夫さんはイギリスの戦犯裁判にかけられ、死刑を言い渡された。その時木村さんが書いた遺書は、学徒兵の遺書をまとめた『きけわだつみのこえ』に収録されたことでよく知られている。
その『きけわだつみのこえ』を読み、木村久夫という個人に心惹かれた著者は、木村久夫さんの妹、孝子さんと何年も文通を重ね、木村さんのことをさらに深く知っていった。その後、孝子さん夫妻と実際に何度も会い取材を重ねていく中で、著者は木村久夫さんが歩んできた人生の足跡を辿っていくことになる。
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