(『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』の著者によるコラムです)
前回のコラムはこちら「家族の記録(1)かぞく文集「ひまわり」の発行(作家:山口紀美子)
昭和50年秋 小学2年
・ずかんを申し込む
本についてきたハガキで学研へ図鑑を申し込んだ。住所も全部自分で書いた。このことは、「近くの本屋さんで買ってくれるように」と書いてあった学研からのハガキでわかった。三十冊のうち、近世の人々(上)、中世の人々、古代の人々、人とからだなど、十冊に○印がついていた。
昭和52年1月9日 小学3年
・日記のこと
顕くんとフロに入っていたら、おかあさんがつけている自分の日記帳を持ってきて、にこにこ、ニヤニヤ。そして、「小さいころのないの」という。おかあさんは、つけておいてほんとうによかったと思った。アルバムも今日はずっとみていた。
当時は、植物を育て、また手伝いをしては作文を書いた。また盛岡旅行のときのことも書いている。
・じゃがいも 小4 山口純
ぼくはきのう、ジャガイモをとりました。大きなジャガイモが5こできたので、おかあさんはそれを、「塩ゆでにして食べよう。」といいました。ぼくは塩ゆでのジャガイモは、まだ一度もたべていませんが、せいいっぱいつくったのだから、おいしいと思います。
そのときぼくは、四月の終わりごろ、ジャガイモをうえたときのことを思い出しました。
うす暗い夕方、ぼくはジャガイモをうえるところをさがしまわって、たっといいところがみつかりました。ぼくは、そこにひりょうをまいてジャガイモをうえて、そして、そこに土をかぶせ、水をたっぷりやりました。
■著者紹介
『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』(山口紀美子・著)
1941年、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)に突入する。日本では多くの国民が徴兵され、戦場に向かうことになった。そんな時代に行われた学徒出陣で徴兵された若者たちの中に、木村久夫という一人の青年がいた。
終戦後、戦地であったカーニコバル島の島民殺害事件に関わった人物として、木村久夫さんはイギリスの戦犯裁判にかけられ、死刑を言い渡された。その時木村さんが書いた遺書は、学徒兵の遺書をまとめた『きけわだつみのこえ』に収録されたことでよく知られている。
その『きけわだつみのこえ』を読み、木村久夫という個人に心惹かれた著者は、木村久夫さんの妹、孝子さんと何年も文通を重ね、木村さんのことをさらに深く知っていった。その後、孝子さん夫妻と実際に何度も会い取材を重ねていく中で、著者は木村久夫さんが歩んできた人生の足跡を辿っていくことになる。
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