コラム

“男女”のコミュニケーションプロトコルの最適化**

 

本コラムでは、幻冬舎ルネッサンス宛にご応募いただいた、読者の方からの寄稿文をお届けします。どうぞご覧ください。

 

男と女の関係に関するコミュニケーションプロトコルの最適化について言及したいと思います。
そもそもコミュニケーションプロトコルというものは、コンピュータのネットワーク上でデータのやり取りを行う(通信する)ための手順や決め事のことをいいます。もしこれがお互い違った手順であれば通信はできません。意思疎通が図れないのです。このことはしばしば言語に喩えられますが男性が日本語で女性がフランス語でコミュニケーションを取ろうとしますが二人の言語が共通でないので当然言葉で意思疎通が図れません。

 

 

このように、そもそも男女のコミュニケーションプロトコル(通信手順)は全く異なるものなのです。例えば、男女の関係というのは人間の表裏ともいう双対する関係に男女はあるといえます。どちらかが優れてどちらかが劣るといった関係ではなくどちらが欠けても人類の種の保存が保てないというお互いにかけがえのない関係なのです。

しかし、そんなかけがえのない関係であっても男と女のコミュニケーションの手法(手順/プロトコル)が違うということを知らないばかりに、日頃から大小さまざまな男女間のトラブルを招いています。男女のそのプロトコルの違いを理解してコミュニケーションを取っていれば、これまでにしなくてもいい離婚や離別をどれだけ防げたものかと思うと残念でなりませんし、どうして学校で教えなかったのかと残念でなりません。そこでつぎに男と女の各コミュニケーションプロトコルの特徴を説明します。

 

男性コミュニケーションプロトコルの特徴・・・・・・

 

そもそも男性は、基本的に”ヒト”との意思疎通をを持ち前の男性プロトコル(手順)に従って図ろうとします。そして男性は種の保存本能により自分の番(つが)う女性と子供を護るべき存在であると遺伝子に組み込まれている一方で、自分の遺伝子を多くの種に拡散保存させようとする本能も併せ持つ性です。

一般的な男性の基本特性を以下に列挙してみると・・・・

(1)生産的効率化志向。
(2)生物学的に、オスはメス争奪のための支配欲と権力欲、名誉欲に伴う闘争本能が基本。
(3)資本主義思想。
(4)タテ型組織志向。
(5)まず義務があって権利を得る(Give and Take)。
(6)思考回路に見える色、感じる色は”モノクロ”。
(7)社会を建築物に喩えるとその基礎構造躯体部を担当。彼らの作る外壁、内装インテリア部はモノクロで変化がなくつまらない。
(8)絵を描くときに男性は線画として線の連続で絵を描く。
(9)男性は地動説の羨望者。女を中心に男は周ってやる。セックス(種の保存)のために。
(10)一般的に、自立的自己中心的思想。(セックス[種の保存]を目的として自立的に自己犠牲を図る。)
(11)論理主義者。生産主義者。生産羨望者。
(12)どちらかといえば感性層の虚層部。
(13)どちらかといえば夢を見る非現実主義者。
(14)どちらかといえば地道なゲルマン系。
(15)どちらかといえばイソップ童話の”蟻”タイプ。

 

女性コミュニケーションプロトコルの特徴・・・・・

 

そもそも女性は、基本的に”ヒト”とのコミュニケーションを持ち前の女性プロトコル(手順)に従って図ろうとします。
女性は種の保存という人類繁栄にとって最も重要な役割を担っています。だから子供を産んで育て護ることが第一の使命であり生来、女性や子供は男性が命をとして護るべき存在であるとして遺伝子に組み込まれている性なのです。

一般的な女性の基本特性を以下に列挙してみると・・・・

(1)非生産的非効率化消費羨望志向。
(2)生物学的に、メスの母性本能により我が子を守るための平和主義が基本。
(3)社会主義思想。
(4)ヨコ型組織志向。
(5)まず権利があって義務をする(Take and Give)。種の保存本能から国によって守られて当然とするところから
(6)思考回路に見える色・感じる色は”カラー”。
(7)社会を建築物に喩えると外壁・内装インテリア部を担当。建物の基礎構造部分は当然あるものと認識。(多分男が用意すべきものとして)彼女らの作る外壁、内装インテリア部はカラフルで変化に富んでいて楽しい。
(8)絵を描くときに女性は点の集合である点描画として描く。極めてデジタル的思考である。
(9)女性は天動説の羨望者。自分を中心に男は周るもの。
(10)一般的に、他律的自己中心的思想。わがまま。
(11)非生産主義者。消費羨望者。非論理主義者。感覚観念主義者。
(12)どちらかといえば感性層の実層部。
(13)どちらかといえば夢を見ない現実主義者。
(14)どちらかといえば派手なラテン系。
(15)どちらかといえばイソップ童話の”キリギリス”タイプ。

 

男性の線思考(アナログ的思考)と女性の点思考(デジタル的思考)とは・・・・・

 

一般的に男性の思考は”線”で行い、女性の思考は”点”で行います。男性の思考方法である「線思考」とは、事物を連続した動画として捉え静止した写真には意味を見出さず連続した動画にこそに意味があるものとします。一方、女性の思考方法である「点思考」とは、事物を1枚の写真のように切り取り記憶し基本的に連続した動画として思考はしません。

線思考とは男性のアナログ的思考を指します。その特徴は、過去・現在・未来の連続性の中に価値を求め、地味で地道なゲルマン民族的でどちらかといえばイソップ童話でいえば”蟻”タイプのキャラクタかもしれません。アナログ的思考は絵をイメージする場合も線画として線の連続で絵を描こうとします。また一方、点思考とは女性のデジタル的思考を指します。その特徴は、一瞬一瞬(今・今・今)を離散的に価値を求める解放的でラテン的などちらかといえばイソップ童話でいえば”キリギリス”タイプかもしれません。デジタル的思考は絵をイメージする場合も点描画として点の集合で描き、線も点の集合として認識します。

ちなみにアナログ的思考とは、情報科学において「量」という概念を重さ2432・・・・kgや長さ3.14・・・・mmのように厳密に測れば小数点以下いくらでも細かく測ることができる連続量として捉える思考のことをいい一方、デジタル的思考とは情報科学において「量」という概念を1個、2個、3個・・・・・と整数のように離散量として捉える思考のことをいいます。 デジタル的思考ではスイッチの切替でリアルタイムに直角に曲がることや逆戻りすることが可能ですが、アナログ的思考ではスイッチを切替えても急な転換や変更はできず徐々に方向転換や変更を図ります。

例えていえば、デジタル的思考はUFOのように直角にも曲がる変幻自在の飛行スタイルで、アナログ的思考は現代の航空機のように直角には曲がれず曲線を描いて徐々に方向転換する飛行スタイルであるかのようです。

男性は、情報科学において「量」という概念を重さ2432・・・・kgや長さ3.14・・・・mmのように厳密に測れば小数点以下いくらでも細かく測ることができる連続量として捉える極めてアナログ的思考をします。一方女性は情報科学において「量」という概念を1個、2個、3個・・・・・と整数のように離散量として捉える極めてデジタル的思考をします。整数としてのデジタル的思考への変換には、小数であるアナログ的思考の連続量の小数点第一位を、例えば四捨五入/切上げ/切捨て等の2進数(0=OFFまたは1=ON)に置き換える量子化(クオンタイゼイション)作業を行ってデジタル的思考へと変換します。それ故、女性のデジタル的思考とは100%同じものではありません。

しかしながら、自然界のさまざまな情報は連続量(アナログ量)ででき上がっており連続量(アナログ量)は離散量(デジタル量)に比べ、より多くの豊富な情報因子を含んでいます。この連続量(アナログ量)はヒトからヒトへと伝わる過程で情報量が減衰したり、ノイズ等の外部要因により情報内容が変化し易いというという欠点を持っています。また逆に、整数である離散量(デジタル量)の特徴は、小数点以下の情報は不必要とみなし排除していることにあります。これによって伝えるデータのフレームワークが明確になり、ヒトからヒトへと伝わる過程で情報量の減衰やノイズ等の外部要因による情報内容の変容が生じにくいなどの利点はありますが、不必要とみなし排除した情報因子の中に時代を変える重要な情報因子が含まれているにもかかわらず取り込めないという欠点があります。

端的にいうとアナログ思考情報は有益な情報因子も無駄かもしれない情報因子も多く含んでおり、片やデジタル思考情報は機能的だが情報因子数が少なく有益な情報因子も排除している可能性があるということなのです。自然界のさまざまな事物の情報は連続量(アナログ量)ででき上がっていて、その離散量(デジタル量)は連続量(アナログ量)に比べ情報因子数が極めて少ないです。

例えば人間社会を素材の材質や色合いも不均一なザラザラしたダンボール紙の表面に喩えると、男性はそれを観察するのに顕微鏡を使い女性は虫眼鏡を使うといったようなもので、倍率の高い顕微鏡で見れば粗捜しといったように細部にわたって観察できる代わりに必要でもない情報因子までも嫌でも入手してしまいます。片や倍率の低い虫眼鏡で見れば目立つ部分だけの必要最小限の情報しか入手しません。果たして社会というものは男性のように顕微鏡の倍率で見るべき対象なのか、はたまた女性のように虫眼鏡の倍率で見るべき対象なのかどちらが正しいのでしょうか?

新たなものを発見・発明・創造するといった研究開発分野や、学校や病院・介護といった人間の精神性の関わりを重視する分野では情報因子数の豊富なアナログ的な思考方法がデジタル的な思考方法よりも優位でしょう。しかし、より現実的でヒト・モノ・カネの効率化を考える生産現場や経営の機能性を追及する企業等の分野では、デジタル的思考方法がアナログ的思考方法よりも優位になるかもしれません。

 

ここでコミュニケーションの基本特性として一般的に男性がアナログ的思考を女性がデジタル的思考を採用する典型例を挙げて見てみましょう。

男性の場合、恋愛の保存はどちらかといえばこれまでの戦歴の勲章のように愛おしく懐かしく名前を付けて追加保存を繰り返しながら一本道を歩く性のようですが、一方、女性の場合には恋愛の保存は、どちらかといえば上書き保存で恋愛の度に曲がり角を曲がって別の道を進む性のようです。一旦、相手に見切りを着けると交差点を曲がって別の通りに進み出します。(振り出しに戻りそれまでの恋愛感情をリセットする。)それ故、後ろを振り返っても誰もいないし、いったん結論を出して終わったものに意味はなく今走る新しい道にこそ意味があるのです。極めて離散的「点」志向でデジタル的思考であり「今・今・今」が重要なのです。より現実的で単純に幸せになりたい一心で前進あるのみとなります。それに対して男性の恋愛は、より自分に合った女性を求めようと一本道をずっと歩いてきて恋愛を繰り返すため、振り返ればそこに誰かがいたという過去が次々と思い出され、未練タラタラになるのです。それはきわめて連続する「線」志向でアナログ的思考なのです。

そして、思考方法とは別に基本特性の筆頭に男性は①「生産的効率化志向」と、女性は①「非生産的非効率化消費羨望志向」というのがあります。一般的に男性の仕事に対するコミュニケーションスタイルはアナログ的思考情報をデジタル的思考情報に変換(A/D変換)した情報因子数を削減した効率・生産的・生産羨望者志向で論理的なデジタル的な思考方法が使われます。一般的に女性は男性コミュニケーションプロトコルの生産的効率化志向の論理性と客観性を嫌います。そして女性コミュニケーションプロトコルの非生産的で消費羨望志向の感覚や感性・気持ちである感情的な主観性を好む性でもあります。それ故、男性コミュニケーションプロトコルの論理で問題を解明しようとしても女性からは理解は得られないし、理詰めで話せば逆に感情を害されて反感をかうことになりかねないことになります。

では女性の思考タイプは、デジタル的思考であれば本来は効率的なはずなのですが、どうして感情的で精神的で主観的なのでしょうか?それには女性が子供を産んで育てるといった女性特有の性質が大きく関与しています。子供は効率的に育てられるものではありません。特に幼少期の子供が成長する上で学ぶべきことはその殆どが理屈で割り切れない非効率の世界に存在します。もし子供をすこぶる効率的に育てていたら子供の情操は発育不全をきたし人の気持ちも理解できない情緒不安定な大人に育つかもしれません。それ故、一般的に子供に対してや相手を子供レベルと感じると女性のコミュニケーションではデジタル思考情報を一旦D/A(デジタル思考/アナログ思考)変換した非効率・非生産的・消費羨望志向で情報因子数の少ない感情的なアナログ思考情報が使われます。

 

男と女のコミュニケーショントラブル

 

先に述べたように、女性は種の保存という人類繁栄にとって最も重要な役割を担っています。それは女性にとって子供を産んで育て守ることが人生の第一の使命であり、女性とは男が命を賭けて守らなければならない存在であると生来より遺伝子(DNA)に組込まれている性なのです。それ故、喩え混雑する歩道の真ん中で女性たちが道を塞ぐように立ち話をしてようが、雨の日に傘を差して前から男性が来ても道を譲るのは男の役目とばかりに直進して進もうが、それは女性が種の保存本能によって守られるべき性であるとプログラムされているからなのです。道でもどこでも基本的に男が譲るもの。レディファーストはDNA上の常識なのです。しかし一方、女性同士ではそれなりにお互い対抗心を燃やす場合が多いようです。

そして一般的には女性は男性側から土下座の勢いでお願いされたいと思う側の性でもあります。(それほど大事に思われたい。愛されたい。)生物学的なメスに多数のオスたちが群がるように、恋愛において一人の女性に多数の男性たちが群がっている構図をイメージすると、その女性が望んでいることをいち早く察知しそれを満足させる男性がその恋を勝ち取る可能性が高いことになるでしょう。そのためには他の男性よりも先に女性プロトコルで意思疎通を図ることが必要であり、だから結果的に生理的に嫌でない限り女性のために土下座をしてでもお願いした要領の良い男性が選ばれる確率が高いのかもしれません。

男性の多くは女性にもてようと基本的にコミュニケーションプロトコルを女性に合わせ、女性が求めているであろう男に対する幻想を満足させるため、身の丈以上に虚勢を張り女性の期待に答えようとします。言葉は悪いがただ彼女とセックスしたいがためにです。生物学的に所詮オスは本能的に多くのメスとの繁殖の機会を求めます。それ故、少しでも気に入ったメスには、片っ端からラブコールをします。またラブコールもできないようなオスはメスから見てもオスとしての魅力に欠けます。だからもてるオスは、競争相手を蹴落とし望みのメスを射止めるためにメスが抱く優しくて強くて逞しいオスの幻想を満足させるために、精神的にも経済的にも身体的にも精一杯虚勢を張って身の丈以上のアピールをメスに対してするのです。そしてオスは、種の保存本能に従いメスの対象を変えながら死ぬまで種の保存を繰り返そうとします。

しかし幸いにも人間の場合、多くの先進国では一夫一婦制を採用し規律の取れた社会を維持するために法律で種の保存本能の行き過ぎに一定の規制を設けています。
このように男女の行動のベースにあるのが種の保存本能であり、平成時代の男女の恋愛コミュニケーションプロトコルに関して言えば、その殆どは女性プロトコルが男女の共通コミュニケーションプロトコルとなるのです。もちろんすべてとはいいませんが、中には昭和初期以前の時代のように二人のコミュニケーションを男性プロトコルが強引に支配する恋愛っといったタイプもあるかもしれません。もしここで男尊女卑の大正時代や明治時代の頃のように男性が、一方的に男性プロトコルで女性とのコミュニケーションを強要しようものならば、この平和ボケした平成の世ではパワハラやセクハラとして女性から訴えられる危険性は高まるでしょう。

恋人関係にある男女のイメージは背中合わせになった人間の表裏ともいうべき双対関係にありどちらかといえば真逆の性の存在なのです。例えば、自分の手は直接自分の”実”である目で直接見ることはできますが背中は見ることはできませんね。鏡という道具を使って”虚”というものに映して間接的に存在を確認していますよね。それは恋人や夫婦として背中合わせの双対関係にある男女と同じで自分の目で見える部分は安心ですが自分の目で見えない背中にいる相手のことはお互い不安になり悪く想像したり思い込んだりしますよね。

ですから信頼関係を永く保っていくためには自分たちがお互い背中が見える鏡のような手段を持ち合わせることが必要となります。恋人たちが互いにどれだけ相手を思いやれるか、そのお互いが相手を思いやる気持ちの大きさとそのバランスが恋愛の成就にとってはとても重要なことです。そして相手を思いやる互いの思い入れが重なり合う部分が二人の恋愛の証である”愛”であり、その形状はお互いが思い合う左右バランスの取れたいわゆる大きなハート型がベストということになる訳です。

だからその鏡的存在とは“愛”ということになります。それにはまずお互いが相手を自分の身体の一部として思う気持ちしかないのです。それは相手がいわゆる自分の身体の一部であるとする本来の”身内”という意識であるかもしれません。

【終】

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