コラム

自著の受賞に思う**

『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』の著者によるコラムです)

 

2月23日の夕刊「いわき民報(いわき民報者)」を手にしたとたん、一面の大きな写真が目に飛び込んできた。それは自著『奪われた若き命・戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』の写真だった。最初「木村さんが」と、表紙の木村さんへの思いを強くし、「どうして載っているんだろう」と思った。そんな気持ちで紙面をよく見ると写真のすぐ上に、「いわき民報ふるさと出版文化賞・最優秀に山口さんの作品決まる」とあり、「ああ、入賞したんだ」と、肩の力が抜けるような気持ちになった。22日の最終審査直後の報道で、このほかに、優秀賞、特別賞があった。

翌日からお祝いの電話、ハガキなどがあり、うれしさが込み上げてきた。

28日には「ワシントンホテル・椿山荘」において授賞式が行われ、私はその席で3人を代表してあいさつを述べることになった。あいさつは5、6分程度にと考えた私は、その内容に苦慮した。いろいろ考えて入れたことは、忘れられない妹である孝子さんの言葉だった。1995年8月、はじめて吹田市佐井寺の木村家を訪れたとき、3回目の別れぎわに孝子さんが、「兄と楽しく過ごしたことだけ思い出していたいんです」と言われたのだ。入り口の引き戸に手をかけてふり返ると、上がり框にご主人義郎さんの横に立つ孝子さんの顔はゆがんでいた。その姿は、出入り口の引き戸に手をかけた私を引き戻した。このときの孝子さんの姿を、私は思い続けている。

次にどうしても伝えたいことは、木村さんの本の出版を、孝子さんから「やめて下さい」と言われたこととむすびつく。木村久夫さんの遺書はある月刊誌に、「死の意義づけはまちがっている」と批判的に書かれたことがある。これに対する孝子さんの悲しみ、苦しみは深かった。「あのような死に方をした兄が、書き遺した文にまで悪く言われるなんて」と言われたとき、私は、「戦犯として苦しんで処刑された人に、このような言葉をあびせていいのか」との思いにかけられた。書かれた雑誌と書き手の名前をここまでは記さない。ここで述べたいことは、このことがあったために孝子さんが、本にするのを「やめて下さい」と言われたこと、出版後のことである。

このようなことがあったが、孝子さんは出版を許して下さり、本をお送りしたとき「兄はしあわせです」と言って下さった。私にとってこれ以上の言葉はない。孝子さんはこれからずっと、私の心にあり続けるだろう。

■著者紹介
『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』(山口紀美子・著)
1941年、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)に突入する。日本では多くの国民が徴兵され、戦場に向かうことになった。そんな時代に行われた学徒出陣で徴兵された若者たちの中に、木村久夫という一人の青年がいた。
終戦後、戦地であったカーニコバル島の島民殺害事件に関わった人物として、木村久夫さんはイギリスの戦犯裁判にかけられ、死刑を言い渡された。その時木村さんが書いた遺書は、学徒兵の遺書をまとめた『きけわだつみのこえ』に収録されたことでよく知られている。
その『きけわだつみのこえ』を読み、木村久夫という個人に心惹かれた著者は、木村久夫さんの妹、孝子さんと何年も文通を重ね、木村さんのことをさらに深く知っていった。その後、孝子さん夫妻と実際に何度も会い取材を重ねていく中で、著者は木村久夫さんが歩んできた人生の足跡を辿っていくことになる。

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