――何かを表現したい。
――そのために本を書きたい。
――書いた本を出版したい。
本の出版を志す方なら、ある日突然このような欲求が沸いてきた経験があるのではないでしょうか。
しかし、なぜ自分はそう思うのか、何のために出版をするのか、その理由まで考えたことはありますか。
幻冬舎の代表取締役社長 見城徹は、そうした人の表現欲求について、「表現とは究極の自己救済だ」と語っています。
本コラムでは、見城氏のインタビューからこの言葉の真意を辿り、『表現の本質』について考えていきます。
『表現』をするという欲求以前に、人には3大欲求というものがあります。食べたり、寝たり、セックスしたり・・・という本能的な欲求で、人間の生を支えるために不可欠な行為です。
しかし、数々の作家と向き合ってきた見城氏は、「人間には、食べたり寝たりセックスしたりという本能的なものとは別に、『どうしてもそれをしなくては前に進めない』という欲求がいくつかある」と語っています。
それが『表現欲求』であり、人は表現をすることで自分の気持ちが整理され、癒され、満たされる・・・言わば救いを得ることができると言います。
人は救いを得て前向きに生きることができるため、逆に言えば、人は『表現』なしに前へ進むことはできない。それが見城氏の見解のようです。
では、その表現をする上で作品づくりに取り組む訳ですが、出版においてはどのように表現することが望ましいのでしょうか。
作品づくりに置いて重要なことは、「自分のオリジナルな世界を作れるかどうか」であると見城氏は語っています。一般論で表現するのではなく、自分の人生と対峙し、内面に迫ることで得た独自性=オリジナリティがなければ、読者の心を掴むことはできません。
こうした描く上で必要な一連の行いをすることは、体力も時間も要する大変な作業です。
しかし、著者がそれだけ覚悟を持って取り組んだ作品には、たくさんの才能や可能性が潜んでいます。読者にそれを感じさせるものこそが、オリジナリティを持つ作品であると言えます。
そして見城氏は、その才能や可能性を「見逃さずに引き上げていくのが編集者の役割」であるとも語っており、著者にはオリジナリティを魅せる努力、編集者はそれを見出す努力が必要になるのでしょう。
次回も引き続き、表現欲求に関するコラムをお届けします。
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