いつも被害者の立場でいたい女性との付き合い方
本コラムでは、幻冬舎ルネッサンス宛にご応募いただいた、読者の方からの寄稿文をお届けします。どうぞご覧ください。
何があっても、「私はそうしたくなかったんだけれど、誰々さんが、そう言ったらから・・・」「私は何々って思ってたけれど、誰々さんがそうじゃないっていうものだから・・・」と言う女性がいますね。こう言われてしまうと、どう返していいものやら、私はいつも軽く憂鬱な気分になります。
私と付き合ってくれる友人は、換気扇を内臓しているかのようなさばさばした女性が多いので、正直いつも被害者の立場でいたいような湿度の高い女性は、苦手です。出来るならあまりお付き合いしたくありません。けれど、自分のごく身内ー母親・姉妹・姑・義姉・義妹・叔母等ーにこのタイプの女性がいた場合は逃げようがありません。露骨に疎むわけにもいきませんから、上手にかわしかわしお付き合いするしかありません。
うっかり本音をぶつけて「そんなこと言ってるけれど、自分の意思で決めたんだから、人のせいにするなんておかしいでしょう」などと、批判しようものなら、今度はこちらが加害者になってしまいます。「あの時は本当に大変だったのに、事情も知らずに私を責め立てて・・・・・・・」などと、言われかねません。この人との関係を壊してもいいと思えるなら、こういう手段も有効ですが、出来ることなら友好関係を保ちつつ、しかし一定の距離間は決して縮めず、その湿度の高さ故の不快感をあまり感じないようにしたいなら、もっと上手にたちまわらないとなりません。
本気で聞かない。親身になり過ぎない。適当な相槌でごまかす。相手がこれ以上被害者の殻にこもってしまわないように、話を早めに切り上げる・・・くらいでしょうか。随分と冷たいようですが、これくらいしないと被害者意識の強い女性の、被害者話はえんえんと続いて、聞くほうをしんからうんざりさせます。「私がこう決断した結果、こうなってしまった。こうなった敗因は、私にある」と言い切るのは、なかなか勇気のいることだと思いますが、本音で人と付き合う際に、どうしても必要な勇気であるように、私には思えます。
しかしいつも被害者の立場でいたい女性が、嫌な人でも悪い人でもなく、大変親切でよい人なのだけれど、どうしても 何かあった時、自分は被害者なのよという立場を確保しておきたいというタイプの場合、良い人であればあるほど付き合い方が難しくなります。自分を被害者の立場においておきたいという考えは、自己保身のとても強い人だと思いますが、「私にはとっても出来ないわ」「私なんか、そんなこととてもとても・・・」などと、よく言います。
一見、自分を卑下しているように聞こえますが、どうしてどうして、内なるプライドはかなりのもので、結構他人の批判も手厳しいようです。こういう女性と付き合う場合、自分が加害者呼ばわりされたくないので、どうしても受身・消極的・うわっつらだけの本音隠しになりがちです。
「仲良しごっこ」的なお付き合いは、はなはだ苦手な私ですが、本音をむき出しで玉砕・悪者扱いは出来れば避けたいです。ところがあまり本音を隠して、通りいっぺんのうわっつらな態度をとっていると、今度は「冷たくされてしまって」などと言われて困惑した経験があります。
いつも被害者の立場にいようとする女性は、かなり賢い女性なのかもしれません。きっとこういう人はでしゃばったりはしないでしょうから、世間からは「大人しくて、女らしい人」と認識されているかもしれません。本音むきだしでいると、あちこちで軋轢を生じがちですが、そんなこともないでしょう。いつも被害者という安全地帯にいて、絶対加害者の立場には立とうとしませんから、時折私は「ずるいなぁ~、本当は強いくせに」と思ってしまいます。でも、面と向かって批判したりはいたしません。軽くスルーするくらいの意地悪はしますけれどね。
「私が自分で決めたんだけど、どうも間違っちゃったみたいよ」
その一言が言えると 楽なのにね。