幻冬舎との出会い(作家:山口紀美子)
(『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』の著者によるコラムです)
前回のコラムはこちら「家族を想う木村さんの心」
わたしは今、幻冬舎とのはじめての出会いを思い起こしている。『奪われた若き命』の発行が幻冬舎でよかったと、強く思いながらである。
2003年4月、幻冬舎から『母から子への手紙』が発行された。この本は野口英世の生誕地である猪苗代町が、原稿用紙1枚の手紙文を募集したことで生まれた本である。
1000円札が発行されたとき野口英世の肖像が使用されたが、それが手紙文の募集になったのだと思う。わたしは東京で建築設計の仕事をしている三男にあてて書いた。長時間パソコンに向かう息子の眼を心配している気持ちと、保育園の頃の忘れられない思い出が内容になっている。
息子は保育園で、友だちが次々と帰って行く中で母が迎えに来るのを待っていた。夕方少しでも早くの思いで迎えに行くと、息子は園のベランダで先生と通園バッグを肩に持っていて、母の姿が目に入ると、一目散にすべり台に向かった。
そして、あっという間にすべり下りた。これが毎日だった。友だちがいなくなった園の一室で先生と待っていた幼い息子の気持ちを思うたび、切なさが込み上げてきた。
本の発行前、執筆中に電話のベルが鳴った。何気なく受話器を取ると、「こちら幻冬舎ですが」との声が耳に入った。出版社からの電話に驚いたが、すぐ喜びに変わった。手紙文は一冊の本になり、その中にわたしの小文も入れたいとの申し出を受けたからである。
わたしはすぐ、「よろしくお願いします。」と答えた。声は高ぶっていた。発行後送っていただいた本を開くと、目次に「すべり台」の文字があった。選には入らなかったが応募してよかったと、くり返し思った。これが幻冬舎とのはじめての出会いになった。
わたしの手元に、2006年5月2日付の小さな新聞記事(福島民報)がある。内容は5月13日と14日に、それぞれ福島といわきで、幻冬舎グループ主催の個人出版に関する相談会が開かれるというものだった。このときはある程度まで取材がすすんでいたが、発行には至らなかった。
翌年から重要な内容となる取材があり、それも入れて、『奪われた若き命―戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』として、幻冬舎が発売元で発行することができた。2つの出会いを思いながら、わたしは、発行が幻冬舎でよかった、との思いを強くするのである。
次回のコラムはこちら「『奪われた若き命』に寄せられた感想」
■著者紹介
『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』(山口紀美子・著)
1941年、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)に突入する。日本では多くの国民が徴兵され、戦場に向かうことになった。そんな時代に行われた学徒出陣で徴兵された若者たちの中に、木村久夫という一人の青年がいた。
終戦後、戦地であったカーニコバル島の島民殺害事件に関わった人物として、木村久夫さんはイギリスの戦犯裁判にかけられ、死刑を言い渡された。その時木村さんが書いた遺書は、学徒兵の遺書をまとめた『きけわだつみのこえ』に収録されたことでよく知られている。
その『きけわだつみのこえ』を読み、木村久夫という個人に心惹かれた著者は、木村久夫さんの妹、孝子さんと何年も文通を重ね、木村さんのことをさらに深く知っていった。その後、孝子さん夫妻と実際に何度も会い取材を重ねていく中で、著者は木村久夫さんが歩んできた人生の足跡を辿っていくことになる。