執筆お役立ちコラム

海外文学をもっと日本へ ~翻訳出版マニュアル~

チョ・ナムジュ氏の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(2016年、筑摩書房)が日本で大ヒットしたことは記憶に新しいですね。

翻訳を手掛けたのは斎藤真理子氏。パク・ミンギュ氏の『カステラ』をヒョン・ジェフン氏と共訳し、第1回日本翻訳大賞を受賞した翻訳者です。

以下の文章は、選考委員の西崎憲氏が同作に送った講評です。

 

訳文はまれにみるほど滑らかで、読んでいて翻訳文であることを感じる瞬間はほとんどなかった。読みやすい訳文、滑らかな訳文が、小説の文章としてそのまま価値があるということにはならないが、内容との照応の面でも文体の選び方に納得させる力があるように思った。(「第1回日本翻訳大賞選評」ページより引用)

 

この講評が伝えるように、私たちが海外の書籍(文芸だけでなく学術書や実用書も含みます)に親しむ際には、訳文の印象や完成度が極めて重要となります。

優れた翻訳書の存在が、私たちの読書体験をより広く、かつ豊かなものにしていることは間違いないでしょう。

本コラムでは、そんな翻訳書が出版されるまでの経緯をご紹介します。

「あの作品の邦訳が早く読みたい!」「私も翻訳本を出版したい」とお考えの方は、ぜひご一読ください。

 

翻訳書の出版に欠かせない二つの工程

それでは実際に翻訳書が出版されるまでの道のりを追いかけていきましょう。

なお、出版されたあとの流通・販売については、その他の書籍とさほど大きな差はありません。

本コラムでは「① 翻訳権ならびに出版権の獲得」「②翻訳(そして膨大な調査)」を、翻訳書の制作に特有の二つの工程と考え、詳しくご紹介します。

 

① 翻訳権ならびに出版権の獲得

海外の著作物を翻訳し勝手に公開することは、著作権法第27条で禁止されています。

 

第二十七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

 

本コラムのテーマである「翻訳」に絞って分かりやすく言い換えると、「本を勝手に翻訳していいのは、それを書いた人だけ!」ということになります。

したがって翻訳書を出版する際には、いわゆる「翻訳権」ならびに「出版権」をもつ著者ないし出版社から許可を貰わなくてはいけないのです。

※ちなみに「出版権」は著作権法の第3章で詳しく規定されているので、ご興味をお持ちの方はそちらもご覧ください。

実際のところ、許諾をいただくにあたっては金銭面のやりとりが発生することがほとんどです。

そのため基本的には、翻訳者サイドと原作者サイドの双方が納得のいく着地点を見つけるため仲介を行う、「著作権エージェント」と呼ばれるプロの方を通して交渉します。

出版社からしても、法的な知識に長けた頼もしいエージェントの存在は必要不可欠です。

出版社の手助けを得ずに、個人で翻訳書を出版する場合にはなおさら、こうした専門家に頼るのが賢明な判断と言えるでしょう。

 

②翻訳(そして膨大な調査)

翻訳書の出版において、言わずもがな最も重要となるのが、実際に翻訳を行う工程です。

ところで、しばしば「語学力がある人であれば翻訳は誰にでもできる」と誤解されてしまいがちです。

しかし、このことが間違いであることは多くのプロが主張しています。

 

より正確に表現するなら、語学力は前提の上で、それを下支えする膨大な調査こそが、わかりやすい訳文を生み出しているのです(たとえば翻訳会社WIPジャパンの掲載コラム「【調査力の重要性】翻訳は調べ物が命です」をご参照ください)。

翻訳者は、原著を熟読するのはもちろんのこと、その書籍で述べられている分野や原作者の他の著作、論文や信頼の置けるインターネット記事等の参考文献など、ありとあらゆる情報源にあたらなくてはなりません。

辞書に書かれている言葉をそのまま移し替えたような翻訳では、原作のイメージを大きく貶めることになります。

そのため多少大げさな言い方をしてしまえば、一冊の書籍を翻訳するのには、一つのジャンル全体に精通しておく必要があります。

そのため、原作の雰囲気を大切にしたり、原著の主張を正確に訳文に落とし込んだりしたいのであれば、翻訳家は誰でも良いわけではなく、その分野の専門家やその分野で翻訳活動を行っている方が望ましいでしょう。

 

例えば、ハンナ・マッケン氏ほかの『フェミニズム大図鑑』(2020年、三省堂)の翻訳者が同分野の専門家でなかったことは多くの批判を集めました

このこともまた、翻訳において重要なのが語学力だけではないことの証左と言えます。

 

最近の翻訳出版の動向

『2021年版 出版指標 年報』(出版科学研究所、2021年)によると、ヒット作が出ているにもかかわらず、翻訳書の点数は年々減少傾向にあるようです。

そのなかでも2014年以降増加傾向を維持しているのが児童書です。

なかでも絵本は、2014年に379点の翻訳書が出版されてから、2019年には465点と、22.7%増の成長という結果が出ています。

 

またこれも意外なことに、ここ2年間に限って言えば、欧米だけでなく韓国・アジアの絵本が勢いを伸ばしているのです。

小説やビジネス書、学術書等の主流ジャンルの裏でじわじわと勢いを伸ばしつつある絵本の翻訳市場。

今後の動きに要注目ですね。

 

未翻訳の海外文学を発掘してみよう

ここまで読んで、冒頭でご紹介した「翻訳権」の話が気になっている方もいらっしゃるかもしれません。

気になる作品があるけれど、エージェントに依頼するのも原作者と交渉するのも難しそう……とお考えの方、実は交渉の必要がない書籍が存在するのです。

それは「1970年以前に刊行されており、かつ1980年までに邦訳が出ていない書籍」です。

一体どういうことでしょう。

実は著作権法には古いものと新しいものが存在しており、1970年12月31日までに刊行された書籍には古いほうが適用される決まりになっているのです。

そして古い著作権法には、刊行から10年経っても誰も邦訳していなければ勝手に翻訳してよい、と書かれているのです。

したがって、「1970年以前に刊行されており、かつ1980年までに邦訳が出ていない書籍」は翻訳が自由ということです。

ちなみに、原作者がご存命かどうかも一切関係がありません。

翻訳したい海外書籍がある方は、その書籍がいつの刊行で、よその翻訳者に先を越されていないかどうか確認してみましょう。

隠れた名作を発掘し翻訳すれば、作品の価値は再び蘇り、時を越えて現代を席巻するなんてこともあるかもしれません。

 

まとめ

最後に、本コラムでご紹介した内容をおさらいしましょう。

・海外の書籍を翻訳するためには、原作者にお願いして翻訳権・出版権をもらい、膨大な調査を経て訳文を完成させる必要がある。

・翻訳書のダークホースが絵本。なかでもアジアの絵本の動向には今後要注目。

・刊行年次第では翻訳書の出版が自由な場合がある。隠れた名作を発掘し、現代に改めて紹介することの意義は計り知れない。

私たちと世界をつなぐ、書籍という扉。

読むだけではなく、翻訳し出版するという方法でも開けることができます。

本コラムを通じて関心を持たれた方は、ぜひ一度ご相談くださいませ。

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