(『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』の著者によるコラムです)
前回のコラムはこちら「<書くこと・読むこと>(2)高3の国語の時間」
1978年10月、わが家にかぞく文集「ひまわり」が生まれた。これはB5版、110ページの厚さで、子どもたちの作文や絵、わたしが三人の子どものためにつけていた育児日記を主な内容としている。ひまわりの絵の表紙には“かぞく文集「ひまわり」1978.10.顕ちゃんのえ”と父親の文字で書かれている。そして“まえがき”には、「五十一年の十月ごろだったと思います。わたしは息子たちに、「おうちの文集クリスマスまでには出すよ。」と、かぞく文集の発行を約束しました。それから一年がたってしまいました。その間心にかかりながら、そして、「おかあさん、ほんとうは去年のクリスマスまでに出すのけだったんだよ」ということばを聞かされながら手がつけられないでいました。」と記されていました。
文集の発行はわたしがつけていた育児日記と息子たちの作文と深くかかわっている。またその動機は後半に、「家族文集の発行を思い立ったのは、『子どもたちの作品を残しておいてやりたい』という気持ちからでした。このめばえはわたしの心の中で、『家族の生活の記録として、どうしても作らなければならない』という、より強い気持ちに変わってきました」とある。
原稿はすべて手書きで、寸をおしんでせっせとペンを走らせた夏の日が思い出される。文集を出すということがあったので、夏休みに入った息子たちがラジオ体操から帰ってくると、すぐ作文を書くよう求めたりもした。育児日記や作文は、長男は小2から小4、二男は小1から小3のときもので、三男文章は無理だったので、絵、文字、数字の掲載になっている。内容が決まったとき父親の文章がないことから、「父の少年時代」を入れることがあった。
この当時の家庭の状況としては、わたしたちは小学校と中学校の教師であると同時に組合活動に時間を費やしていたこと、そのことが育児日記などにも表れていると思う。構成上父の文章はこのあろで取り上げられないのでここに入れることにする。
<“橋のある風景”によせて>
終戦の八月十五日、私は福島中学校二年(現在の福高)でしたがmあの日も私は阿武隈川の橋の見える流れで泳いできた帰り、自転車に乗っていた私とすれ違った誰かに敗戦を聞かされ驚いたことを覚えています。(前後の多くを省いて)。
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