著者インタビュー

本を出版するということは、“人生のレガシー”になる

濱本光治(はまもと みつはる)
昭和31年(1956)、広島県呉市生まれ。崇徳高校卒業(野球部在籍)。千葉商科大学卒業(日本傅拳法道部在籍)。
昭和53年、佐藤栄学園・埼玉栄高校に教諭として奉職し、同校硬式野球部コーチに。昭和57年、花咲徳栄高校の開校に伴って異動し、初代硬式野球部監督を務める。その後、空手道部監督を経て平成13年、女子硬式野球部監督に就任。平成19年から現在まで平成国際大学女子硬式野球部監督。平成28年定年退職。現在は、一般社団法人全日本女子野球連盟副会長、全国高等学校女子硬式野球連盟代表理事、全国大学女子硬式野球連盟理事長、日本ティーボール協会評議員、日本野球科学研究会会員、女子硬式野球を愛する会会長、足の裏会会員。
近著に飯沼素子氏との共著『花咲くベースボール』(2016年、小社刊)、『サクラ咲ク』(2017年、小社刊)がある。

今回2刷りの重版が決まった『女子硬式野球物語 サクラ咲ク』の著者であり、全日本女子野球連盟副会長でおられます濱本光治様にインタビューしました!

まず、ご出版のきっかけをお聞かせください。

濱本 女子硬式野球の創設者である故・四津浩平さんの遺志を後世に残していきたかったと感じたことが大きなきっかけになりました。四津さんはがんを患い、度々お見舞いに行っていたのですが、私に対して、「女子硬式野球の本を書いてくれ」と仰っていたんです。しかし、四津さんが亡くなった後も、十数年間本を出すことはありませんでした。その後、女子硬式野球が脚光を浴びるようになってきたのですが、四津さんが築き上げた歴史にフィーチャーされることがなかった。それを何とかしたかったという想いが、出版するということに繋がりました。

なるほど。四津さんが築き上げた功績を紡いでこそ、女子硬式野球の歴史に意味を持たせることができる、ということなのですね。出版後に周りの反響や心境の変化などはありましたか?

濱本 良い意味で反響はたくさんありましたし、時間が経てばたつほど、反響が広まっているのが嬉しいですね。その反響のおかげで、出版した『女子硬式野球物語 サクラ咲ク』は重版されました。今でも、女子硬式野球大会の物販で目にして手に取ってもらったり、女子硬式野球ミュージアムでも保存されています。女子硬式野球の歴史の軌跡が形になったことが素直に嬉しいです。

生徒さんとのコミュニケーションで話題に上がったりしますか?

濱本 卒業生からの反響が結構大きいですよ。本のロケーションに出ているお店に行ったりしているみたいで、その話をしたりします。本の内容についても、詳細を話してみたり。自分の本で話に花が咲くのは、出版した甲斐があったのと感じる瞬間でもあります。

女子硬式野球に関わったすべての人とのコミュニケーションツールとして活用できるのも素晴らしいことですね!そんな出版体験を通して、印象に残った出来事をお聞かせください。

濱本 やはり一番は、担当してくださった山名社長との出会いですね。山名社長自身も野球をやっていたことで話が盛り上がったこともありますが、何より初めて出版する私に一生懸命寄り添ってくださった。「女子硬式野球をもっと盛り上げたい!」という理念に共感していただき、SNSやHPなどでもたくさん宣伝してくださってましたね。もちろん、編集者やデザイナーの皆さんも良い本にするために、懇切丁寧にやってくださりました。

濱本さんの熱量が社内全体に伝わったことが良い本づくりへと繋がっていったんですね。逆に、大変だったことはございますか?

濱本 初めての出版だったので、資料集めや書き方・伝え方含め、執筆にはかなり手間取りました。それでも、スタッフの皆さんと一生懸命やってきたから、上手くやってこれたと感じています。

また本を出版してみたいと思いますか?

濱本 当然思います。今はまだ充電中ですが(笑)。既に構想はありますし、まだまだ出版に対する情熱とエネルギーはあります。あと1年は学校での授業もありますし、女子硬式野球もまだまだ教えていますから、そこが落ち着いてからまた考えていきたいですね。

出版をご検討されている方に対して、メッセージはございますか?

濱本 私の人生の座右の銘として、「人生2度なし」という言葉を心に刻んでいます。本を出版するということは、“人生のレガシー”になる。その証を残していくことに決して後悔はないと思います。是非、勇気を出して一歩を踏み出し、本を出版してみてほしいと思います。

ありがとうございました!

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