Presented by 幻冬舎ルネッサンス

特別連載インタビュー

彩瀬まるが描く現実と幻想

──デビュー後、初期のころは『骨を彩る』や『神様のケーキを頰ばるまで』『桜の下で待っている』など現代社会を舞台にした連作短篇集が多かったですよね。きっと、小説誌に短篇を一篇発表すると「この話のここを広げてもう一篇書きませんか」と言われ、また一篇書いて……とやっているうちに連作集になった、という経緯が多かったのでは。

彩瀬:確かに連作ばかりの時期がありましたね。そのほうが依頼しやすいと編集者から聞いたことがあります。ただ、『骨を彩る』は書下ろしで、別の短篇に同じ登場人物も出てくるし、最後の話を書いたあとで最初の話を直したりしたので、長篇のイメージで書きました。『骨を彩る』を書いたことで、形式的には視点人物が替わっていく連作であっても、長篇ととらえることができる書き方が分かったというか。『森があふれる』も視点人物が替わりますが、あまり連作短篇集とは読まれないですよね。

──ああ、確かに『森があふれる』は一組の夫婦について、本人や周囲の人たちの視点を交えながら描いていく長篇という認識で読みました。最近は独立した短篇を集めた幻想作品集『くちなし』や長篇『不在』なども発表されていますが、作家生活においてターニングポイントはありましたか。

 彩瀬:2016年の『やがて海へと届く』までは、ある程度、自分で終わり方が分かるものを書いていたんです。物語がアンコントロールなものにならないように無意識のうちに気をつけていました。でも『やがて海へと届く』の時は、「震災の要素を入れた作品を」と依頼を受けて、要素だけでは難しいから自分が感じたことを全部出したほうがいいと考えたんです。

──彩瀬さんは2011年の東日本大震災の時にたまたま福島を旅行していて被災しているんですよね。その体験は『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』というノンフィクションでも書かれている。それでそういう依頼がきたんでしょうね。

 彩瀬:『やがて海へと届く』は生者と死者が出てくる話ですが、絶対に前もって答えを設定することができない物語だったんです。死者がどうやって自分の無念さに対して落としどころを見つけるか、生者がどうやって、友人は亡くなってしまったのに自分は生きていることに対して向き合うか、まったく事前に用意ができませんでした。だから探りながら、アンコントロールなままに書き進めていったのですが、そうしたら知らない答えにたどり着いたんです。その時に、小説を書くって、書く前の自分が知らなかった領域にたどり着く行為なんだなと分かった気がしました。そこからは、書き終わった時に、それまでの自分が知らなかった場所に立てていればいいなと思いながら書くようになりました。

──『やがて海へと届く』以降、『くちなし』や『森があふれる』など、「花に眩む」以降しばらく書いていなかった幻想の要素がある作品も書かれるようになりましたね。

 彩瀬:幻想にも数種類あって、はじめのころに書いていたのは、幻想があることで陶酔できる、甘いお菓子的なニュアンスがあったと思います。それは今でも好きなんです。でも、だんだん幻想は幻想でも、その幻想を書くことでリアルなことが剥き出しになるものを書いているというか。現実を補うための幻想を書くようになった気がします。普段生活していても、自分の目に見えるもの、物理的に手に触れて重量を感じられるもの、言葉にできるもの以外の感覚ってあるじゃないですか。その感覚も人と人とのコミュニケーションには影響を与えているのに、現実についての描写だけだと書けない。それを表現するために幻想を入れると、より実際に生きている時の感覚に近くなるんです。つまり、現実の感覚を書くために幻想を書いているような気がします。
 この先は、身構えるのでなく、しれっと幻想を入れられるようになりたい。しれっと怪しいものが入っているほうが、体感的に現実に近い気がするので。

──幻想譚で特に強く感じますが、彩瀬さんの作品はグロテスクなものと美しいものが同居していますよね。

 彩瀬:そういうものがたぶん好きなんですよね。生きているもので、グロテスクでないものってない。グロテスクというのは、ぎょっとするような獰猛さや、ぎょっとするような意外性を持っているってことかなと思いますが、生きているものはみんな、当事者以外から何かしらグロテスクに思われるものを持っている気がします。たとえばかわいい猫だって、鳥やネズミの首を折って食べますよね。猫からすると当然のことをしているだけだけど、人間から見るととてもグロテスクに見えるという。死というものが関わると、グロテスクになるのかなとも感じます。ほかの命に対する異物感を落とし込んで書くと、グロテスクという受け止め方をされるものになるし、同時に自分からかけ離れた、意外性のあるものはそれだけで美しくもなるから、そういう読み心地になるのかな、と。

──それと同時に、絶望的な結末でもないし大団円みたいなハッピーエンドでもないけれど、この先まだまだ歩いていける道があると感じさせる話を書かれているようですね。

 彩瀬:そういう話が好きなんです。たとえば『オリーヴ・キタリッジの生活』のエリザベス・ストラウトは、アメリカの閉塞した田舎で、自分の裁量では人生を変えられない人たちをよく書きますが、でも、すべての赦しを手に入れる瞬間を、突き抜けるような気持ちよさで描く人なんですよね。完全なハッピーエンドやどん底といった指標以外にも、人生の満足感に繋がるものが何かあるのかなって思わせるんです。自分もそれを模索しています。

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