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特別連載インタビュー

特別インタビュー 羽田圭介 自分にとって書くこと、表現することとは

高校生だった17歳のときに『黒冷水』で文藝賞を受賞してデビュー。2015年に『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞に輝く。受賞を機に、放送媒体や舞台への出演などにも活躍の幅を広げている。だが、人生が前に進んでいるという実感は「小説を書くことだけでしか得られない」ときっぱり。作家を目指す人に、表現意欲を浪費してはいけない、とアドバイスする。

小説家としての素養を高めた幼少期

──小説家になろうと思ったきっかけなどをお聞きしたいのですが、子供のころから読書は好きでしたか?

 羽田:中学受験をすることになって、勉強するふりして本を読んでましたね。勉強より本のほうがましだって(笑)。進学してからも、通学の時間が往復で2時間くらいあって、電車内で時間を潰すために音楽を聞くか、本を読むかって感じで。3日に1冊ぐらいのペースで読んでました。そんななかで、中2のときに図書館を見て回っていたら、小説を書くための本みたいなのが数冊並んでて、ハッとしたんです。小説って書く側にもなれるのかって、目から鱗が落ちた感じで。当時、椎名誠さんの本をよく読んでたんですよ。旅エッセイには、無人島で昼は原稿書いて、夜は仲間と焚き火するというようなことを書かれていて。作家っていいなあって(笑)。別に書きたいものはなかったんですけど、作家のライフスタイルに憧れた。
漫然と憧れていただけですが、高1の終わりぐらいに、僕の2学年上の綿矢りささんが、文藝賞を受賞してデビューしたんです。ああ、本当にこういうことやっちゃう人がいるんだって、自分がやらなきゃいけないことを具現化された気がした。それで自分も書かなきゃと思って、純文学系の受賞作を読んで、傾向と対策を研究したりしました。まあ、気休めにしかならないですけどね。新人賞は今までにないようなものを求めてるわけですから、真似したってどうしようもないんですけれど、でもまぁ、自分のなかで安心感を得るというか。

──当時は書きたいものがなかったんですね

 羽田:ノートをネタ帳にして、いろいろメモしてたんですが、今思えばひどいものでしたよ。休暇中の刑事が南の島に釣りに行ったら死体を釣り上げて捜査が始まるみたいな(笑)。深いものではなくて、ひとネタが1行程度の。でもそのなかに「兄弟間の机あさり」というのがあって、時間が経ってから見直したら、なんか気になるわけです。面白そうだなと思って膨らませていって、デビュー作の『黒冷水』になった。それまでも途中まで書いて自分でボツにしたものが何作かありましたけれど、『黒冷水』は初めてちゃんと書き上げて、初めて投稿した作品でした。ポストに投函したときに、もう自信がありましたね。根拠はないんですけど、いけるときっていうのは自分でわかる。これはいけるだろうって思っていました。

──それが17歳。デビューして、どんな変化がありましたか。周囲の見方も変わったのでは

 羽田:そんなに変わらないですよ。新聞やテレビの取材が来るっていうのがすごいなとは思いました。なんか大物になったなって(笑)。作家のやってることなんて地味ですからね。小説書いて、編集者と打ち合わせして、の繰り返し。出世した感があるのは取材を受けてるときだけです(笑)。今では取材にも慣れましたけど、デビュー当時は度肝を抜かれましたね。大人に名刺渡されても、名刺交換の仕方もわかんなかったりしたわけで。

──高校生ですものね。ご自分でも名刺を作ったりしたんですか?

 羽田:いや、作らなかった。今も僕は名刺を持っていないんです。ある編集者の方から、名刺交換とかして仕事した気になったら良くないよ、って言われて。確かにそうかもなと思った。名刺を配っていればもらえるような小さい仕事をやっても仕方ない。作家として生きていくには、いい作品を腰を据えて書くしかないわけで。人の集中力は有限です。でも、創作という行為は、わりと簡単に別の行為に代替できちゃうんですよ。エッセーを書いただけでも、なんか満たされちゃうところがある。エッセーを書くようになったのも、デビューしてから5、6年経ってからでした。やった気になるっていうのは良くないですよ。今世間ではSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を知人との連絡手段としてではなく、自己表現としてやる人も多いですが、デビューしていない創作家の卵がそれに手を出すのは大変な間違いです。そんなところで発信なんかしないで、自分のなかに貯めて、発酵させて、まったく違うものに転化されるのを待つことがすごく大事です。

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