──恩田さんの書く小説は、ときに「恩田ワールド」と呼ばれるほど一貫した手触りがあります。そういう感じは、書く側でも意識して作っておられますか。それとも一つ一つの作品は個別のものという意識のほうが強いですか。
恩田:個別のもの、という思いが強いですね。もちろん同じ人が書いている以上、雰囲気やタッチはどうしても似てくると思うんですが、自分としてはなるべく毎回違うものを書こうと思っています。
『六番目の小夜子』の本を作るときに担当編集者がついて、すぐに次回作を書いてくださいと言われたんですが、どういう小説家になりたいのかという展望もなく、この先なにを書いたらいいのかまったく考えていなかったのでものすごく悩みました。
でもその次に『三月は深き紅の淵を』を「メフィスト」という雑誌で連載し始めた頃に、「ああ、自分の好きなものを書けばいいんだな」と思ったんです。好きなものだったら他にもいろいろあるから、それでいいなら書けるな、って。
たとえば『ガラスの仮面』みたいに、作中でお芝居のオーディションが延々と続くものをやりたいとか、ある本を読んだときの読後感を思い出して、「ああいう読後感になるものを書きたい」というふうに、そのときどきでオマージュを捧げている対象は少しずつ違うんですが、好きな作品からはつねに影響を受けていますね。
──デビュー後しばらくは会社に勤めながら執筆しておられたわけですよね。仕事と執筆のバランスはどうしていましたか。
恩田:いまも会社に勤めながら小説を書いている方がたくさんいらっしゃいますが、私も編集者の方から、開口一番に「デビューしたからといって、勤めている会社は辞めないでくださいね」と言われました(笑)。
兼業作家として書いていたのはデビューから7年ぐらいで、その間は普通にフルタイムで働いていました。会社に定時に行って定時に上がり、家に帰ったら小説を書くというのは精神衛生的にはとてもよかったです。会社での仕事は集団作業なので、自分で責任をとらなければならない範囲が限られていますよね。その一方で、小説を書くという仕事は、最初から最後まで自分一人で責任をとれる。会社ではチームで働き、小説は一人で書く、その両方ができたこの頃はけっこう楽しかった気がします。まだデビューしたばかりで、自分のなかにも書きたいネタがたくさんありましたから。
仕事モードと執筆モードの切り替えにも、そんなに苦労した記憶はありません。早く帰れるときは平日の夜も書いてましたが、基本的には金曜日の夜から週末にかけてひたすら書く、という感じでした。だから兼業時代は、恩田陸は寡作な作家だと思われていたんです(笑)。
作家専業になったきっかけは派遣の仕事から正社員に切り替わり、仕事があまりにも忙しくなったことです。ちょうど小説の注文もコンスタントに入り始めていたので、専業でもやっていけるなと思えた時期でした。