日本の崩壊
はじめに
常々、ニュースであり日常生活の中に於いても、日本の常識と安全神話の崩壊を直視させる事象が氾濫していますが、あな
たはこの現状をどのように受け止めていますか。
平素の生活さえ薄氷を踏むが如き緊張感を強いられ、当然と享受していた安全や平穏な生活環境が激崩し、更に悪化を辿る
世相に、将来への展望が拓けないと云う不安を拭い切れないのですが、あなたはどのようにお考えでしょうか。
そこで、何故このような状態に陥ってしまったのか、また、この現況を打開し健全な国に再生することが可能なのか、私な
りの考察をお示しした上で、改善にお導き出来る提案とお受けとめ戴き、皆様にもご同考戴ければ我が意を得たりと存じます。
現状を知る
1、指導・教育を考える
先ず、教育の根源とは、平和を尊重し社会秩序を遵守・構築 する人間形成にあります。
その為に、家庭に於いては、子供が共同生活への適応能力を身に付ける指導を果たす義務があります。それは、人間としての良識・倫理感・道徳観念・生命の存在意義・社会生活への関わりを説き、他人の見識を尊重し自己の主張とを精査する適応能力を身に付けさせることです。
これは、教育機関に預けられている期間だけではなく、両親 が義務の遂行が可能な限り続くのです。それは、個人を社会が護り、個人は社会に貢献して尽くすと云う、確固たる骨組みで
成り立つからなのです。
教育機関は、各々の学年に応じて学習要綱に則った教育と体 力向上の指導を行う訳ですが、ここで、家庭との間で認識と見解の相違による軋轢が生じ、教育実務の円滑な遂行に障害を引き起こすのです。
その要因として、次の項目が挙げられます。
①、PTAの過剰介入
教師の質や指導姿勢を問われることがありますが、教育現場の混乱は、本を正すとPTAと個人的な家庭の不如意、或いは過度な介入にあると考えます。昨今では、個人情報の流出が懸念され、ある程度の斟酌はするものの、多くの教員に手枷足枷を嵌め、健全な職務遂行を阻害しているのだと考えます。
②、生徒と家庭の素養
近年特に考えさせられるのが、子供を育てられる親がいない事です。少なくとも1970年代くらい迄は敬意を払うと云う思慮を会得していたと思うのですが、現在の子供や成人にしても、敬語は使えても敬意を払うと云う真理を知らず、年長者への接し方が整っていないのです。
妙な事ですが、平気でと云うか、当然の様に大人を愚弄する事に躊躇いはないのです。
「邪魔だからそこをどいてくれませんか」と云う表現ですが、これは、敬意を損ない敬語で装飾した欺瞞の例えで、気に入らない事が在れば一瞬にして態度を豹変し、見下した言葉を吐くか、恫喝する事も有ります。
この類の青少年の家庭は、どの親を照らし合わせてみても正しい叱り方と導き方を心得ていないのです。
そのために、不誠実な怒りを子供に向けて仕舞い、その結果として、その行為が理解出来ない子供に懐疑心と不信感を植え付けて、行く行くは親への反抗心を芽生えさせます。その挙句に、同様の環境を幻滅の眼差しで受け止める術しかない状況の中で、救いを求めるべき社会には懐疑心が芽吹いており、望まれる成長の道を求められぬ悪循環に嵌ります。
厄介な事に、そういった大人達は上辺や聞き齧りだけの説得力の無い蘊蓄を語りたがり。その見え透いた稚拙な知識を振り翳す事で誤った認識を植え付けるか、更なる幻滅感を上塗りさせて仕舞うのです。
③、教師の制約と素養
教師個々の素養を探れば、確かに不適合か不向きと見て取れる人材も見受けられますが、殆どの教員は真摯に教壇に立ち生徒と向き合って居られるのです。
その中で、その教育・指導を妨げる障害も発生しています。
難問は、「自由」を「勝手気儘」と取り違えるPTAと父兄のごり押し要望に因り、度々変更される教育指針に手枷足枷を嵌められた状態で、教育ロボットに押し遣られた状況からどう脱却するかということです。
次に考えさせられる問題が、クレーマーと呼ばれる父兄の存在で、教員には前段の手枷が現存する事を盾にし、執拗で無秩序な要求を放り込みます。
是等の問題は、文科省を囲む政府の対応に因って容易に改善が可能なのです。取り組むか放置するかで、日本を取り巻く様々な課題が解消されてゆくのです。
④、教育と指導の現状を顧みる
教育と指導の礎を鑑みれば、その国の置かれた主義・思想に基いて成り立っています。
日本は民主主義を掲げ、宗教と思想の自由を保障し、併せて教育を推進し国民生活の向上を目指します。
不合理なのですが、実態を見極めると、宗教はその家庭の信仰宗教を慣例的に継承する事になり、教育にしても、その国の主義主張を思考に擦り込む事になるので、形の上では洗脳と変わりない形態をとっているのです。
これは、知識を得る手段の一段階として構築された歴史として捉えれば不遜ではないのですが、将来、子供の意思選択に家庭も社会も過剰介入せず、静観し見守る寛容さを周知する事で均衡が保たれると考えます。
⑤、情操教育の変革を考える
社会全体が精神不安定・情緒不安定に陥り、本来、青少年を教育・指導すべき親でさえその素養が欠如し、その人間形成の悪しき土壌を作り出しています。
係る弊害を検証すると、「我慢を知らない」「人を欺く事に躊躇がない」「命を軽視する」「他人に無関心」「協調性の欠如」「感謝の念が持てない」「思慮が至らない」等が列挙され、此れらが厳然として現代の子供達に反映し、情操教育再考提案の根源となっているのです。
この問題の解決策は、社会と大人の意識改革を敢行しなければ始まらず、実現可能か否かは政治に委ねるしかないのが実情です。
⑥、規範の変化
是まで培われてきた日本の道徳観・倫理観・感性の変化を顧みると、第二次世界大戦後の米国の政治介入が大きかったと思えます。
戦前までは、封建制により社会全体および家庭内に於いても縦割り統治にて整然と規律が守られて居りました。この制度の良し悪しを論ずるのは別の項に回し、社会も家庭も秩序が保たれていた事はご理解戴ける事と思います。
では何故、戦後の社会規範から道徳が崩壊を辿ってしまったのかを考察します。
先ず一つ目の要因として、米国先導となる学校教育と国民の意識改革を挙げます。
悪い言い方をすれば、封建制度に因る制圧された生活であり、高圧的な教員の指導であり、個人の主張や表現は抑圧された環境に置かれていましたが、それでも国民が反発もせず従順でいられた理由は、一人一人に倫理観が備わり、夫々が共感意識を弁えていたからだと思います.
それが、敗戦を契機に言論も主張も手枷足枷を解かれ、抑圧される立場から自由という未知な環境を突然与えられ、戸惑い乍らも「既成概念の柵」から突然に解き放たれた中で、その解放感に馴染むには然程時間は掛からなかった事は容易に想像できます。 その時点の行政に於いては、将来を見据えた規律・秩序・ 倫理等を堅持する基本理念を定めなかった事、国民にあっては、自らが国や社会との連帯・連携を考察し、教育機関や政治組織との関わりに思慮せず、不適切且つ過度の要求を突き付けた事が、現在の不安定で秩序の欠乏した社会を形成してしまったのだと思います。
外国から環境を変化させられ、それに適応する術に未熟で未来を展望する読解力を持たなかった元凶は、鎖国期間が障害となったのかは不明です。それでも、其れまでの日本が規律と秩序を保つ事が出来ていたのは、天皇を精神の要とする君主関係・社会を形成する徒弟関係・父親を大黒柱とする主従関係を心の柱とし、夫々がその立場を尊重し合う事で規律と秩序を凛として翳していた事は、全国民の弁えとして遵守していたからです。
気の遠くなる長い歴史の上に構築された日本の精神構築と建設的忠誠心を戦後の国政への介入統治に因って、米国の思惑となる日本精神崩壊の道を辿らされたのです。
⑦、社会への不満と道理の隔たり
巷で耳にする台詞、「息が詰まる社会」「支配された生活」「腐敗した世界を壊す」「社会を変える」その他にも有りますが。
此の感情が意味するものは、実は不誠実な精神状態だと知 らせる必要性を示唆しているのです。
先ず、何故社会が必要なのかを説くには、人間社会を構築・維持する意義を有史以来、人間としての体を成した段階で必要に迫られて創造したと云う事を記さなければならないと思います。
古代に人間一人で生き抜くことは不可能だと云う事は理解戴けると思います。その中で、お互いの命を外敵から守る為に運命共同体を形成します。ですが、その有効性を認識した次の段階では家族単位の小集団から、その集団を少しずつ大きく拡充させ、併せて個々に役割を持たせる事で集団運営への参画意識を植え付け、組織の形態を整えてゆくのです。
こう説明している段階で「柵」「義務」「制約」は、個々 が庇護される為の契約・約款だと理解出来ませんか。
その真意を整理する為に、倫理・規律・秩序・真理・道理・定義を以て、情熱を基に社会の構築意義を説けたと思うのですが。
是までの説明で、個々の義務の履行が個々の権利と庇護が 保障される条件であり、国を健全に存続出来る条件であるとご理解戴けるのではないでしょうか。