表現者の肖像 嵯峨野嘉竹
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神社と寺院の違い

 奈良・京都を訪ねる主な目的から寺社仏閣巡りを切り離しては考えられません。

 何故なら、飛鳥時代に大陸を経て奈良の都に伝来して以降、仏教は奈良の地に根付き荘厳に育まれ、京都の都で優雅に開花した心の安寧の象徴なのですから。

 したがって、神社と寺院を楽しく有意義に拝観する為には、その成り立ちから違いを知る必要があります。ですので、此処で微識なりの講釈にてお示しをさせて戴きたいと思います。

 取り敢えずその違いを端的に表現しますと、神社は祭神という数多おられる中の神様をお祀りし、お仕えする神主などの神職者によって保守され、参拝者は庇護と加護を祈願しニ礼二柏手を以て祈りを捧げます。

 寺院は仏像をご本尊様と崇め、僧侶がお勤めと称して修行勤行によって教義を会得する道場であり、衆生(一般人)が心の拠り所として集い、先祖からの墓を(墓地を有しない寺院も在ります。)庇護し、自らを見つめ明日の糧を求める聖域なのです。

祭神と神社の関係

 神とは、畏敬の念を抱かれ参拝される対象であり、所願の祈念を聞き心の安寧に導くため、そして、ご託宣を授けるために鎮座されて居られます。

 神社とは、天照大御神を頂とするご祭神(多くは御影がありません)や、八百万の神々をお祀りする為、自然神をお祀りする為に建てられる居屋ならびに、神域敷地内を云います。

 また、七福神と並び、神格化された人神(菅原道真公など)をお祀りする社があり、御影を祀る事があります。

 七福神は神として祀られていると思いがちですが、民間信仰にはその境が判然としないことや、或いは、インドの神々が釈迦の導きによって仏教へ帰依した(宗教の教義上の説)ように、日本へ渡来以降、寺院に在っては、そのご利益に与る為に礼拝仏としてお祀りする事もある様です。

神職の階位と職階

 飽く迄も、神社は「神が降臨する御座所」として存在します。

 そして、ここでご説明する神社とは、天照大神を始祖とする天皇家歴代のご先祖様をお祀りする拝所を指します。但し、古代より、歴代皇族のご遺体は、古墳を経て後には陵墓に埋葬されております。

 しかし、個々の古墳や陵墓全てを参拝する事は不可能であることなどから、伊勢神宮を造営し総ての御霊をお祀りすることで拝参を行える様にしたのです。

 したがって、神社に参拝するということは、必然的に日本の象徴である天皇家の安寧を祈念し、その国民である我々個人、ならびに、家族の平穏を祈願するという図式になります。

 主義や思想を除外して考えるとき、如何にも日本的な成り立ちだとは思えませんか。

 それでは、神職の説明に入ります。

 仕える人々は神職(神主)として、職称を「宮司(ぐうじ)」「権宮司(ごんぐうじ)」「禰宜(ねぎ)」「権禰宜(ごんねぎ)」の呼称を持つ職階と階位で役職を区分されますが、次に、職階と階位について触れさせて戴きます。

階位と与えられる職階の一覧表

階 位職 階
浄 階最高位・名誉階位。
明 階大宮司以外が務められる。
正 階禰宜・県社宮司が務められる。
権正階村社宮司が務められる。
直 階基礎的な階位、権禰宜が務められる。

職階と階位の関係について。
* 宮司は神社の責任者、権宮司は副代表者となります。
* 禰宜は宮司補佐。権禰宜は一般職となります。
* 職階の上位者が神職としては地位が上となります。
例…明階の禰宜より、正階の宮司の方が神職としては上位です。

 ご承知かも知れませんが、一般人は神職に就く事が出来ません。神職になる為には、神職養成機関である所定の高等課程を修了することで「正階」を授与され、その後、二年間の神社奉仕と各種研修を経て「明階」を授与され昇階します。

 それ以外では、検定試験を受験し授与される方法があります。

 但し、大卒以上の学歴・学識を有し神社本庁の推薦を得なければならないため、容易に受験は適いません。

 少々逸脱しますが。今日では総称して神社と呼んでいますが、神社そのものは、本来、伊勢神宮を本宗とした宗教法人である「神社本庁」を機関として末社に至る八万有余の傘下の呼称でした。

 また、現在では目にすることのない、第二次世界大戦後に廃止された「社格」は、その歴史や由緒を知る手掛かりとなるのですが、標石を消された痕跡などで垣間見る事が出来るかも知れませんし、由緒書き(パンフレット等)などに記されていることも有ります。

 皇族に関係する「官幣、大・中・小社」、国土経営に功のあった祭神を祀る社に与えられた「国幣、大・中、小社」がそうでした。

 そして、神社名を標示する際、「□□神社」とある場合、「□」が社名で、「神社」が社号となります。続いて、神宮→宮→神社→社となります。

 時に判り難い神社系譜そのものを分類してみます。

 「氏神社」とは、氏神様と呼ばれた古代社会の氏族の守り神であった当時の名残でしたが、時代と共に変遷し、現在では人々の生活に融け込んで一般に崇拝・参拝されています。

 現在では、出雲大社教などの復古新道教と、伏見稲荷大社・靖国神社・日光東照宮などと「単位宗教法人」の多様宗教法人が存立しますので、次に、主だった「単位宗教法人」の分類をします。

社 名祭 神ご利益
天 神菅原道真学業向上・受験合格・所望成就。
八 幡応神天皇・神功皇后武家の守護。
住 吉伊弉諾命の三皇子
(石筒之男命・中筒之男命・表筒之男命)
海上・漁業・商業守護。
諏訪大社建御名方神武勇の神であり、幅広い神格を有す。
神 明天照大御神
(広く神様を意味する場合もある。)
伊勢神宮に準ずる。
稲 荷宇迦之御魂神農業の守護、商業・産業の守護。

以上のような祭神を祀る神社や、その他の社教が割拠し、日本の神教を興隆させております。

神社と神職・職員

 其の外にも、大きな神社になれば職種も増え職員は多勢いますが、「巫女」「舞女」と呼ばれる女性は神職とは云わず、その他の一般職員と同様の扱いになります。

 そして、最も寺院と違う点が、修行や苦行による修養などは行わないという事と共に、お墓を持たないという事です。

 ですが、神職として神にお仕えする傍らで、氏子や参拝者の祈念・悩み相談を聞き、助言や指導といった心のケアを司る奉仕をします。

 したがって、本殿と拝殿または社務所以外に過備な祠を建てる事も少なく、閑散として見えるような簡素な造りが特徴でもあります。

 但し、本社・大社など大規模な社に在っては、神楽殿・摂社・…などの趣をもった多くの建屋も見ることができます。

ご本尊と寺院の関係

 本項説明に入る前に確認しておきたいと思います。

 我が国へ仏教の教えが齎された件はご記憶と思いますが、抑々、仏教は遡る事「二五〇〇年前」、北インドで釈迦牟尼仏(お釈迦様、生前の名をゴーダマ・シッダールタ)により開創されました。

 日本には大乗仏教・北方仏教と呼ばれ人々に溶け込み、心に豊かさを与えてきました。

 仏僧の、奥義への探求心と対峙する姿勢、時流と共に移りゆく教義の変遷を受けて、複雑多様化する教示の求めに呼応する礼拝対象(仏像)を模索するようになり、需要を満たす為に多くの仏像が幾度も渡来しました。

 そして、仏教では宇宙の構造そのものを仏界として示す教義であることを説き、宗教を哲学として僧侶たちに取り組まれてきた中で、それを人々に解り易く具現化し導く為に仏像は存在するのです。

ご本尊

 ご本尊は、前述による説明でご理解戴けることと思いますが、基本的に宗派により祀られる仏像が違います。それは、仏個々がお持ちになるお徳を教義上の中心仏として宗派から求められるからです。しかし、浄土宗・浄土真宗・日蓮宗、以外の宗派にあっては、礼拝仏が異なる事が多いのです。

 そこで、仏の数は何百万体あるのか判らないほど存在すると思われる事態をお知りになりたい方には専門誌を参照戴くとして、本書では、近年まで仏教に求められてきた仏を観光や興味本位だけではなく信仰の対象として造られ祀られてきた事をご認識された上で対峙されるようお願いしたいと思います。そして、仏と対面した際、仏がどんな願いで私達を救おうとしていらっしゃるのか、また、私達がどの様な言葉で気持ちをお伝えしたらよいのかを知っておけば、心の安らぎをお授け戴き、温かな語り掛けを下さるということを心構えとしてご理解の上でお向き合いになって下さい。

 それでは、仏の世界をご案内したいと思います。

 ご本尊の中でも一番数少ない仏が如来です。次いで、菩薩(観音)が居られ、明王、天と続きますが、達磨大師や羅漢初め各宗祖は実在の修行僧としての崇敬対象として、さらに神将を加えた諸尊として祀られます。それと、餓鬼や邪鬼は仏としては扱われません。

 邪鬼や餓鬼を「神」と称することがありますが、此処で使う「神」はカトリックやキリスト教または、神教の「神」とは違い、インド発祥の数多存在する「神々」の呼称とご理解下さい。

 その中でも仏教伝来以後の日本に在っては,私達に馴染みのある数尊の仏が主に礼拝されてきた経緯があります。しかし、現在の寺院に祀られる仏像は、それまでもインド・中国で整えられてきた教義が日本へ伝授され、多くの高僧によって更に成熟し多くの宗派や教義を生み出し、それに因って礼拝仏も様相を変えていったのです。

 その仏が増える理由となる鍵に、化身という考え方が挙げられ、それこそが仏界の構成を知るための重要な手掛かりなのです。

 仏に上下関係はありませんが、飽く迄も、仏法を習得した上位者に教えを受ける立場上、或いは、自らの意思で守護する為に従位して居られるのでして。教義の表現上や寺院に祀られる本尊を取り巻く脇侍などに見受けられるお姿では、その様な捉え方をされるかも知れません。

 そういう事情を踏まえた上で、如来の知恵一部を表面に出して、菩薩や明王に変身して出現されたお姿を「化身」と表現されるとご記憶下さい。

 民衆が仏教に求める最たるものは、極楽浄土へ誘う阿弥陀如来の教義であり、一方、僧侶が求めるものは、悟りを得るための高潔な教義の享受であって、それだけでも目的が明らかに違うことをご賢察戴けると思います。

 然して、仏教習得過程に於いて、仏僧自身の目指す宗教の在り方、その方策に心意的変化を生ずる場合があるのです。

 悟りを求め続ける場合は別として、民を遍く救いたいと願い、民衆への布教活動や説法法要に献身し、民衆と直接触れ合う姿勢を望み、自己の精進も見据えた道を選択するのです。

 そういう宗祖・僧侶・教義に触れる事によって、宗教の多様性を知り、民衆の求めも変化してゆくのです。

 そうした葛藤を乗り越え、これまで数え切れないほどの仏僧が煩悶・反芻・摸索し、個々の思想を巡らせて多くの教義・教典と対峙し続けた結晶として、多様化した仏像を次々と送り出しました。その中に、幾体もの化身仏とそれに紛う仏像が登場することになったのです。

 そうした引き摺りを抱え、雑念が多くなる程、悟りの道標となる教典や仏像に縋りたくなり、僧侶の心の拠り所としても仏像が重要な存在となるのです。

 仏の位は、「悟り」「修養の高さ」「夫々の役割」により定められます。

 悟りを啓かれた仏を「如来」、悟りの途中にある仏を「菩薩」、悪を正し良い方向へ導く仏を「明王」、仏界を守護する仏を「天」と申されます。前四尊と画し、仏を守護する神将と共に、達磨大師・阿羅漢ならびに各宗祖は実在の修行僧として崇敬され諸尊として祀られます。

 但し、仏の像とお呼びできるのは「如来」のみとご認識下さい。

仏界の中心仏

 仏の世界は、宇宙の法であると前述で説明致しましたが、その中心に御座す仏が「真言密教曼荼羅」で大日如来と申されます。華厳経では毘盧遮那仏と申されて、宇宙の中心から光で隅々まで照らすとされています。

 そういった見地からすると、大日如来が他の仏を導き、他の仏が大日如来を守護するという系図が見えてきませんか。

曼荼羅

 因みに、曼荼羅とは仏の相関関係を表すもので、解り易く絵に記したものと、直接その位置関係通りに仏像を並べて教示したもの、或いは、別な造形物で具現化したもの等が有り、宗派に囚われることなく創作されております。

 真言密教では、「大日如来」をご本尊とする教示に於いて、法界定印(左掌の上に右掌を乗せ両指先を合わせる印相)の示す「理」の世界を胎蔵界「胎蔵界曼荼羅」と呼びます。

 智拳印(左拳の人差し指を立て、上から右拳で握る印相)の示す「智」の世界を金剛界「金剛界曼荼羅」と呼びます。

 二界合わせて、両界曼荼羅(両部曼荼羅)と云います。

 即ち、大日如来を中心とする仏の世界を図で構成したもの、場所によっては別な形(造形物や直接仏を並べる等)で体現したものなのです。

 両界の違いを表しますと、胎蔵界曼荼羅では胎児が成長するように悟りの境地を極める過程を表現したもので、金剛界曼荼羅では大日如来の境地に達するまでの世界を表現したものです。

 胎蔵界には一二の院(一つの院には多数の仏像が配置され、総数で四一四尊おられます。)が、中央の大日如来を包む中台八葉院を、更に何重にも取り囲んだ「理」を表す構図になっています。

 金剛界では、成身会(じょうじんね)または羯磨会(かつまえ)を囲む八つの会の合計九会(くえ)で構成され、一〇六一尊の仏が居られ「智」を表しています。

 簡単に記して仕舞いましたが、教義上では宇宙の隅まで占める無限の領域を持つとされています。

 端折り過ぎましたが、此の項だけで本一冊以上の説明文が必要となりますので、ご賢察の上、詳細は専門書をご参照下さる様お願い致します。

 如何でしょうか、これまでの説明で、大日如来は、衆生の「祈願対象仏」にはできないと感じて戴けましたか。

 そして、密教以外の宗派の教義に依る仏界の組織を須弥世界と云い、須弥世界では「須弥山」を中心に九つの山と八つの海があり、私たちの住む世界は八海の南端にあるとされています。

 須弥山自体も幾つもの層に分かれていて、地居二天を接点に頂上から上には何層(地居・空居の欲界、色界・無色界合わせて二八天)にも分かれた広大無辺の天界が拡がるといいます。

 逆に、八海の下には八地獄(等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、阿鼻)が広がり、阿鼻叫喚という悲惨な状況を表す言葉もここからきているのです。

 此処で少々整理しましょう。

 仏教に於ける仏界(曼荼羅と須弥世界共に)と現世とは、地球という存在と懸け離してみなければなりません。思考の世界(仏界)と地上界(現世)が在るという事を理解した上で、現実と切り離して見なければなりません。でなければ、八海の下を突き進み地球の反対側を突き破り、遙か遠く宇宙の奥まで行かなければならなくなりますから。飽く迄も「仏の世界」の施述であるとご承知下さい。

 「曼荼羅」も「須弥」も共に、仏が宇宙を掌るという思考の上に成り立つ教義とご理解戴けたでしょうか。

 孫悟空がお釈迦様の掌で玩ばれる、あの姿を思い起こして戴ければ、その先に拡がる世界を容易にご理解戴けると思いますが。

仏の説明

 此処では、「如来」「菩薩」「明王」「天」「諸尊」と分類して表記し、仏には夫々ご功益を与える為の道具や武器などを携えておられますので、併せてご説明致します。

如来

仏 名ご利益
大日 如来仏界の中心であり、崇拝仏で否祈願対象仏。
宝冠を被り、瓔珞(首飾り)を掛け、臂釧・椀釧を腕に巻く。
阿弥陀如来「極楽浄土」へ導く仏。
薬師 如来如来修行十二大願の内の、徐病安楽からどの様な病も治す。
薬師三尊像に日光・月光菩薩を従え、十二神将を眷属する。
釈迦 如来主に禅宗の礼拝仏。インドに実在し如来となる。釈迦三尊像に普賢・文殊菩薩を従える。
毘盧遮那如来(東大寺の大仏が代表格)宇宙の真理を具現化した仏で、大日如来同様、否祈願対象仏。
*五智如来金剛界曼荼羅の大日如来を中心に阿閦・阿弥陀・不空成就・宝生如来を指す。

此処に記載以外にも、七〇尊の如来がおられますが、一般的に知られる五尊をご紹介致しましたのでご了承下さい。

菩薩

仏 名ご利益特徴
聖観音慈悲を与える観音の基本形
観音開きは、祀る厨子の扉に由来する。
十一面観音全ての方角の人々を救済する本面頭上に十面を頂く十一面と、本面以外に十一面を持つ像とある。
千手観音あらゆる困難から救う。千の手に全て目がある。
十一面千手観音も居られ、同様の功徳を授ける。
不空羂索観音羂索、絹の網でもれなく救う意三眼多手
如意輪観音思いのままに願いを叶え苦悩を砕く。一面六手
馬頭観音人間を目覚めさせる。三眼、四面か三面の憤怒相。八か六手
准抵観音子授け。全ての菩薩の仏母で、十八手に持物を持つ。
勢至菩薩知恵の光明で人々を照らす。宝冠に水瓶を頂く。
弥勒菩薩人々を弥勒浄土に導く。宝塔が持物、五十六億七千万年後に如来になる事が定められている。
文殊菩薩仏の知恵を授ける。数種の髷、右手に剣、左手に教典、獅子に乗る。 釈迦三尊の脇侍。
普賢菩薩理知と慈悲を授ける。垂髷に宝冠を頂き、六牙の象に乗る。 釈迦三尊の脇侍。
日光・月光菩薩日夜病から守る。掲げる日輪と烏が日光菩薩、月輪と兎が月光菩薩、薬師三尊の脇侍。
虚空蔵菩薩記憶力を授ける。五智宝冠を頂き、右手に剣、左手に蓮華と宝珠を持つ。五智虚空蔵、十三詣り。
地蔵菩薩無限の力で救う。丸坊主に袈裟と衣、右手に錫杖を左手に宝珠を持つ。輪廻六道に分身し衆生を救う。
三十三観音子育て、慈母愛。七観音以外、三十三の観音。


明王

仏 名ご利益特徴
不動明王災いを取り払い、煩悩を打ち砕く。右手に剣、左手は羂索を持つ。憤怒の相で、炎の光背。
降三世明王様々な煩悩を打ち砕く四か三面で、二手で降三世印を結び六手に持物、シバ神と妻の烏摩(うま)を踏み敷く。
炎髪怒髪に火炎光光背。
軍茶利明王外敵から人々を守る。一面八手で中央二手は拳骨を組み拳印相、他手は鉾・三鈷杵・法輪の持物を腕や体に蛇を巻く、髑髏冠と炎髪に火炎光光背。
金剛夜叉明王あらゆる障害を取り除く。三面に五眼、六手に持物。炎髪に火炎光光背。
大威徳明王衆生を毒蛇悪竜から守護。六面六手六足で牛に乗り、炎髪、火炎光光背。
孔雀明王様々な痛みや災害から守る。一面四手で宝冠を被り、柔和なお顔。具縁果・蓮華・吉祥果(ざくろ)・孔雀の尾羽を持ち、孔雀に乗る。
大元帥明王は軍の元帥の由来。
愛染明王理想的な愛に導く。一面六手、獅子冠に至る全体を赤で染める、弓・矢・鈷杵・蓮華が持物、水瓶の上に蓮台が乗り、光背も赤い日輪。


仏 名ご利益特徴
梵天天部最高位であり国家守護神。袍衣で鵞鳥に乗る。
帝釈天仏教の守護神。菱形兜で衣の下に甲冑、片手に独鈷を持ち、像に跨る。
四天王東宝を持国天、南方を増長天、西方を広目天、北方を多聞天が守護。
多聞天は「毘沙門天」の側面を具える。
持国天は兜に刀、増長天は五山髷に鉾、広目天は髷に筆と巻紙、多聞天は髷に天冠台、右手に戟、左手に宝塔を持つ。四神とも邪鬼を踏み敷く武人像。但し、像毎の持物にはっきりした区別はない。
七福神毘沙門天・弁財天・大黒天はインド発祥、寿老人・福禄寿・布袋は中国発祥、恵比須は日本で発祥し、日本の民間信仰の中で七福神として形作られ、寺・社の共に祀られる。ご利益は、毘沙門は仏法の守護神で武人、像。弁財天は豊穣の女神で琵琶を持つ。大黒は台所の守護神で小槌と大袋を持ち俵の上に乗る。寿老人・福禄寿共に道教の仙人で長寿の神、寿老人は頭が長く鶴を供にし、福禄寿は鹿を供にする、共に杖をついた長髭の老人。布袋は中国実在の僧とも云われ、寛容の神。恵比須は商売繁盛の神で、釣竿と鯛を手にする。
吉祥天幸運の女神毘沙門天の妻とされ、鬼子母神の娘、宝冠を被り右手に与願印、左手に宝珠を持ち、中国貴婦人の衣装を纏う。
鬼子母神安産と子育ての女神吉祥果(ざくろ)を右手に持ち、左手で赤ん坊を抱く天女像。
聖天除災招福象頭人身の二体抱擁像。
摩利支天目に見えない速さで動き神通力を持ち困難から逃れる猪に乗った多面多手に武器を携えた天女像。
茶枳尼天自在の力を授ける剣と宝珠を持ち狐に乗る女神像。
韋駄天僧侶の住まいを守護直立合掌で剣を持つ武人像。

諸尊

仏 名ご利益特徴
金剛力士仏と寺の守護、健康祈願。左側の口を開く阿形(あぎょう)は金剛杵を持ち、右側の口を閉じた吽形(うんぎょう)は右手を開く、共に忿怒相で上半身裸、口の形から阿が始まり、吽が終わりを指し、息が合う、阿吽の呼吸の語源。
十二神将薬師如来の手助けと信者の守護。釈迦の教えにより仏教に帰依、薬師如来の眷属(けんぞく)となる。
クビラ・メキラ・バサラ・アンテラ・サンテラ・インドラ・ハイラ・シンダラ・シャトラ・マコラ・ビカラの十二神で、インドラは因達羅で帝釈天、クビラは金毘羅で讃岐の金比羅様。
十王死後の世界の裁判官、泰広・初江・宋帝・五官・閻魔・変成・太山・平等・都市・五道転輪の十王。生まれる瞬 間を生有(しょうう)、生きている間を本有(ほんう)、死の瞬間を死有(しう)、生まれ変わる間を中有(ちゅうう)といい、存在の一つの形を表す。死有から七日目に裁判を始め、七日毎に審判が行われ、三年目に結審が下される迄法要が営まれるのは、供養により裁判の条件を良くする為。
達磨六世紀初めのインドの実在僧、禅宗の開祖で達磨さんと親しまれる、禅宗の礼拝像。
羅漢釈迦の優秀な十人弟子の周りに居て教えを聞いた弟子達、出家最高位の阿羅漢(アラハン)が羅漢に、賓頭盧尊者像は独尊で祀られ、釈迦の五百の教えを纏める 為に集った僧侶を五百羅漢と呼ぶ。
聖徳太子大和時代実在の政治家で業績は顕著。
開祖日蓮(日蓮宗)、弘法大師(真言宗)、最澄(天台宗)、親鸞(浄土真宗)、法然(浄土宗)、他宗。

天部・明王部に属する仏は、バラモン教から仏教へ帰依した神々がその大半を占めていますが、その殆どが仏陀(釈迦如来)に諭されて仏教の守護をするようになったとされます。

仏教の世界観

 仏教に於ける世界観を説明する場合に「十界」と表現し、その内の私達の居る世界を迷界の輪廻六道と定義し、「天界」、「人間界」、「修羅界」、「餓鬼界」、「畜生界」「地獄界」と説いております。

 それを基に「輪廻転生」説(生死が繰り返されるとして、生前の行状から次生での道が定められ、その生涯を辿る宿命を背負わされるという考え方。)に法られた人生が展開されると教示されます。

 そして、その上階にある悟階(四階)へは悟りを啓かない限り、六道での輪廻転生を繰り返えすのだと定義しています。

 この教義は、いわゆる宗教上の示唆であると受け流すか、受け止めるのであれば、人生教訓としての部分で今後の人生展開に反映させればよいのだと思えますが、此の項で「個々に生じる恐れのある」疑念は、宗教哲学とする僧侶の研究対象であって、人生哲学とも通じる性格を具える難問ですので、飽く迄も教義として受け止めて戴きたいと存じます。

 抑々、仏教は、仏に縋れば極楽浄土へ行けるという教示の下に日本に根付き普及した思想です。

 そして、安息と生きる糧を授ける為に衆生の集う場、心の拠り所として建立されたものが寺院です。

 当然、神社にしてもその要素はあります。

 また、優れた仏教を日本に普及させようとしたもう一つの願いが、僧侶が悟りを得る為(仏の教えの極みを求める)の場として、数多くの様々な教典や仏像を収める道場としての面を併せ持っているのです。

 寺院とは、僧侶が仏門に教えを乞う場であり、修行場であるという原点があるということをご理解になり、その上で、私達にご利益を授けて下さり、また、苦悩を取り払って下さるご慈悲が戴けるのですから、粛々と拝観なさって戴きたいと思います。

寺院の施設

 ご本尊を安置する建屋を本堂と呼び、禅宗以外の宗派の悟りを啓く為の修練の場です。

 禅宗では、ご本尊を安置する建屋を方丈と云い、悟りを啓く為の修練場を「法堂」と呼びます。座禅修行が主になりますが、どの宗派でも目指すものは一緒ですので、方法論を語るのは差し控えます。

 寺院の場合は、ご本尊へのご奉仕、ならびに、僧侶自身の修行と共に、衆生(私達一般民)への説法という務めがあり、法用の務めもあります。

 そして、伽藍(寺院施設の建屋で、鐘楼・五重塔等)も多いのです。

守り本尊

 私達が仏様に祈念をする、お導きを戴く為の対象仏を、「守り本尊・お守り」とお呼びします。

 しかし、ご自身の「守護仏」である仏様をご存じの方は、意外と少ないのではないかと思いますが、あなたは御承知でしょうか。

 多くの方の場合、干支と生まれ年で定められていますので、次に、干支による仕訳表にしてご説明したいと存じます。

干支守護仏ご利益
守護神
千手観音苦悩救済・所願成就。
大国主命(おおくにぬしのみこと)救いの親神。
虚空蔵菩薩知恵・福徳・学徳。
大己貴神(おおなむちのかみ)大国主命の若名。
虚空蔵菩薩知恵・福徳・学徳。
大物主神大国主命の別名。
文殊菩薩知恵。
志国男神(しこおのかみ)大国主命の別名(武神名)。
普賢菩薩息災延命・幸福。
八千矛神(やちほこのかみ)武神。
普賢菩薩息災延命・幸福。
大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)大地守護。
勢至菩薩知恵。
顕国魂大神(うつしくにたまのおおかみ)大国主命の別名。
大日如来平和・繁栄。
大国魂大神大地守護。
大日如来平和・繁栄。
八千矛神武神。
不動明王災厄打砕・祈願成就。
志国男神大国主命の別名(武神名)。
阿弥陀菩薩苦除・無限の慈悲。
大己貴神大国主命の若名。
阿弥陀菩薩苦除・無限の慈悲。
大物主神大国主命の別名。

*今表は、守護仏と守護神のご紹介をさせて戴き、ご利益につきましては略記とさせて戴く事をご了承下さい。

宗派の説明

 宗派とは、示唆する教義(宗教上の教え)に基づく信仰基盤の総称であって、内部で更に細分化されている分派も存在する様です。
それでは、主だった宗派をご紹介しますと、「浄土宗」「浄土真宗」「曹洞宗」「天台宗」「真言宗」「臨済宗」「華厳宗」「黄檗宗」「日蓮宗」「時宗」「律宗」「融通念仏寺」「法相宗」等が挙げられます。

 その内の、「臨済宗」「黄檗宗」「曹洞宗」が三大禅宗と呼ばれ、禅を通じた修行が行われます。また、「天台宗」にあっては総合的な宗教であって比叡山の延暦寺に宗祖「最澄」を祀り千年以上灯明を絶やすことなく灯し続けておられます。

 そして、この禅宗寺院は特に京都の大寺院に多く見られ、枯山水庭園や茶室を設え、多くの塔頭(寺域の中にある同宗派の小院)を抱えています。

 因みに、京都五山という表現が在りますが、これも禅宗の臨済宗に於ける寺格を示すもので、鎌倉時代の京都に於いては足利幕府と反目する大徳寺と妙心寺を政略上から除外して、別格に南禅寺、第一位に天龍寺、第二位に相国寺、第三位に建仁寺、第四位を東福寺、第五位は万寿寺を制定した事に始まったものです。

 また、夫々の宗派に基づき修行の御法も教義も異なりますので、必然的に、用いられる教典や寺院の建築様式、さらに伽藍配置などについても変化が生じてきます。

 余談ではありますが、最澄の下に比叡山延暦寺(788年建立の天台宗)で学んだ法然上人が、浄土宗の知恩寺を初めとする寺院創設の基を築き、法然上人の教えを受けた親鸞聖人が浄土真宗の開祖となり、後に、娘の覚信尼に因って西・東本願寺が開創され、夫々、京の都で布教をする為に開創したのが二宗の始まりとされますが、その間には二上人共に宗教弾圧による配流の憂き目に遭い、異土にての布教をしたとされています。

 その後、両宗は名僧の功績を得て分派を伴う形で、皆様ご存知の発展を遂げるのです。

僧侶の職制

 寺院は、衆生の心の拠り所としての仏教を広める為に、その象徴となる「仏像」を拝謝する施設として、聖徳太子が広めた聖域です。

 その後、僧侶が仏教教義を学び知識を深める為に更に多くの寺院が建立されるのに伴い、その教えを授ける為、授戒をする為に高僧が日本に渡来されて仏教の興隆が成されていきます。

 寺院に仕え修行する僧侶の称号と僧階についてご説明したいと思います。

 現代日本では無戒で僧職を営む祭祀者が大多数を占めており、慣習で僧侶と呼びますが、比丘・比丘尼(びく・びくに、仏門に帰依し具足戒を受けた男子・女子)の定義からは誤りとなります。

 仏僧になる為には、その宗派の師僧の下で得度・度牒(男子が得度、女子は度牒)を授かり、一生を懸けた自己の開放(無心を悟る)を得る修行に努める誓約をすることになります。

 前述以外での僧侶資格を得るためには、夫々の宗派の教義を学ぶ為の教育機関が存在し、その科程の修了証書を授与される事でその宗派の僧侶となり、適合する僧階を与えられます。

 ですから、宗派に属する僧侶となるため授与後に他宗派への宗派替えはできませんし、教義が異なる事から、その宗派の僧侶と為るべく門を叩くのですから、その選択肢の考察は無用だと思いますが、若し、後に改宗する場合には、現宗派からの退宗許可を得た上で、当該宗派の入宗認可を得る必要があるかも知れません。その一連の手続きを踏んだ後に、その宗派の教義科程を受け直し、長時間を懸けて僧位を習得することになります。

 補足になりますが、「得度」ではなく「私度・自度」は、個人的に行うもので仏教界には認知されません。

 「廃仏毀釈」以後、戒脈は途絶え、戒を受持する伝統宗派に僧伽(そうぎゃ・サンスクリット語でサンガ)は存在しません。

 次に僧侶の称号を表にしてご説明します。

称 号解 説
住 職寺の代表者で、寺を守る専従僧侶。
和 尚天台宗で「がしょう」、浄土宗・禅宗で「おしょう」、真言宗・法相宗で「わじょう」、律宗は和上「わじょう」、浄土真宗はない。
聖 人日蓮宗、日蓮大聖人、高弟は聖人、住職は上人。
上 人浄土真宗、親鸞聖人と呼び、上人より格上扱い。
大 師朝廷から高僧に与えられる称号。
国 師朝廷から与えられる天子の指南役の称号、禅宗。
入 道元は天皇の仏門での尊称で、後に武士の称号に。
禅 師禅の修行を積んだ高僧の称号。
三 蔵「経」「律」「論」に精通した僧の尊称。
菩 薩仏道を修行する僧の称号。
阿闍梨天台宗・真言宗での修行の師。
老 師禅宗での尊称。
法 王宗・一門の代表者。
最高責任者貫主(かんす)、貫首(かんしゅ)、管長(かんちょう)、長吏(ちょうり)、門主(もんす)、門首(もしゅ)、座主(ざす)、院主(いんしゅ)、化主(けしゅ)。
門 跡皇族から出家した称号。
比丘(尼)仏教に帰依し具足戒を受けた僧(女子は尼)。
行 者行中の僧の称号、役行者は尊称として呼ばれる。
雛 僧出家したての僧。
沙 弥出家して十戒を受けた少年僧、妻子を持つ在家の僧。
小 僧二十歳未満の青年僧。

僧 階
大僧正(だいそうじょう)、権大僧正(ごんのだいそうじょう)、
中僧正〓僧正、権中僧正、少僧正、権少僧正。
大僧都(だいそうず)、権大僧都(ごんのだいそうず)、中僧都
〓僧都、権中僧都、少僧都、権少僧都
大律師(だいりっし)、中律師〓律師、権律師。

 僧侶は格に因って法衣の色が定められておりますので、外見上からも識別する事が出来ます。

 神社と寺院はどのようにして造られたか。

 先ず、神社と寺院の違いは前項でご説明致しましたのでご存じとは思いますが。少し触れさせて戴きます。

 神社は、既に、紀元前に社が構えられ信仰されていたことを古書、および、由緒書きに見ることができます。

 民俗信仰または自然神信仰が一般的であったと「渡来文化の影響」の項で記しておりますが、民俗信仰の場合にあってはご先祖様を、自然神信仰にあっては、自然に存在するものが対象ですので、標柱を立てるか注連縄を張るというお祀りの仕方だったようです。

 寺院は、「渡来文化の影響」の項で記述した、五三八年に向原の蘇我稲目邸に仏像を祀ったことが初めとされております。

 神社と寺院を外見上で判別できるのは、結界(境内と俗界を分ける境界)の入り口に見えます。神社には鳥居が立ち、社域を玉垣で張り巡らされます。

 寺院には山門(宗派により三門と呼ぶ)が立ち、寺域を漆喰塀か板塀で囲みます。明治以前の神仏習合社(神社とお寺が同居)がその儘の状態で現存する。或いは、破壊されず残った場合はその限りではありません。

 神社にお祀りされるのは祭神で、神殿になります。

 天照大御神をご祭神とする神社と、出雲大社・靖国神社・明治神宮等の鳥居を含む外観は、簡素な板壁に囲まれた観音開きの扉を備え、屋根は、きわだ葺き・藁葺・瓦葺がありますが、それ以外の神社にあっては、「青丹よし」の、朱色と緑色の鮮やかな彩色を施した社も沢山有ります。

 補足しますと、合祀という表現がありますが、これは本来のご祭神とは別に、後に祀られたご神体を供にお祀りする事を云います。

 寺院にお祀りされるのは主に仏像ですが、ご本尊として曼荼羅を掲示される寺院もあり、「本堂」または「法堂・方丈」(禅宗)になります。

 また、個々の仏像を祀る為に建てられたお堂や、大寺院の山門(三門)内にお祀りされる姿が見受けられます。

 そして、その山門(三門)内の障壁および天井には極彩色の画が描かれていることが多く、他の回廊・伽藍についても彩色や画の描かれる状況が見られます。
因みに、法堂の天井画には龍を描かれるケースが多くみられます。その理由は、龍が水神として崇められている事と関係し、火難防止を祈念して描かれているのです。

寺院・神社の運命

 お寺や神社には、様々な背景や事情があって、その規模や寺域の移転を余儀なくされて現在地に在基されている場合が結構多いのです。

 武家統治が終焉を遂げ、明治新政府確立により神道国教化政策の下で、仏教界に於いても国民共有財産の損失としても悲劇的な出来事が「神仏分離」「廃仏毀釈」政策であったと思います。

 廃仏毀釈…廃仏=江戸時代末期から(明治初年)、神道、儒教の学者による神国思想鼓吹により寺院や仏像の破壊行為が繰り広げられ、更に、明治新政府による「神仏分離政策」によって、それまで仏教に圧迫を受けていたと考えていた神職者たちによる仏教の排撃(寺院・仏像・仏典・仏具の焼却や除去、そして僧侶の還俗強制)が行われました。

 毀釈(1868年・慶応4年)=釈迦の教えの排意。

 今、人気となっている仏像に興福寺の阿修羅像がありますが、こちらのお像もその時に損傷し、廃棄や売却の憂き目に遭う難を逃れた経緯を持たれています。

 皮肉なことに、この後に日本近代仏教は覚醒の好機を経て形成されてゆくことになるのです。

寺院の称号

門跡寺院…皇族男子が歴代の住職を務める寺です。
門跡尼寺…皇族女子が歴代の住職を務める寺です。
*共に目印として、外壁を肌色で染め、横に五本の白線が入ります。
そして何処かに菊の御紋が入ります。

 ここからは一般寺院の説明になります。

 一般的には、「○○山」→「○○院」→「○○寺」と命名される事が多いのですが、「○○山」→「○○寺」、または、「○○山」→「○○院」と名付けられている場合もあります。但し、奈良時代以前に建立された寺院にあっては、山号も院号も見受けられません。それは、その時代以降に普及した制に因るものです。

山号…もとは、その寺院が所在する山の名を寺の呼称としたもので、寺号の上に表記されます。
院号…皇族・将軍が建立した寺院を「院」と表名されましたが、現在ではその規定もなく、大寺院塔頭の寺名に用いられている他、一般寺院名にも用いられる様になっています。
寺号…建立者の意匠を寺名として掲げる事が多く、その教義を示すことが通例です。

幕府による宗派統制

 江戸幕府は、仏教教団統制を目的とする蝕頭(ふれがしら)を設置する事で、「本末制度」により十三宗(「宗派の説明の項」に掲載)五十六派の掌握と統治という目的を果しました。

寺院の組織

 一宗一派の根本道場を本山と称し、連なる寺院を分院・末寺と云いますが、格式によって総本山または大本山を設ける宗派もあります。

 これまで、多くの寺院が改宗や荒廃を経て、寺名を改めざるを得ない事態が発生したため、現寺院名が建立当時とは替わっている場合があるのです。

 寺院はどの様にして開創(建立)されたか。

 天皇ならびに皇后の勅命によるもの、将軍および縁者の命によるもの、大名または正室の請願によるもの、仏僧の発願によるものが主な発端ですが、事由については菩提を弔う為というものが多く、古くは国家鎮護・疫病平癒を祈念して建立されました。特に、京都に在っては、貴族の邸宅や別邸を、後に寺院に改めたものが多くみられ、雅の世界観もこういう意匠が一端を担っているのではないかと思えるのです。

寺院の構成

 宗派によって建造物が異なることがあり、同じ用途でも呼び名も変わることがありますので、此処では禅宗とそれ以外の宗派に分類・対比して概略のご説明を致します。

禅宗
塔頭…本寺を囲む寺域に点在する小院及び、点在する分院。
伽藍…本堂以外の建造物を指します。
庫裏(厨房)・鐘楼・東司(トイレ)・山門(三門)・舎利塔・五重(三重)塔・浴室・方丈(住まい)・法堂(修行道場)。
庭…通例は枯山水庭園で、池は作らず石組みと白砂の組み合わせに  て、草花と苔などを用い、疑似山水を表現します。 

他宗派
本堂(御影堂とも呼ぶ)・修行を行う道場・山門(三門)・鐘楼・方丈・経蔵(お経を保存)・庫裏・方丈・本尊を別途祀る堂も。
庭…池泉庭園または池泉回遊式庭園が主流です。
禅宗・他宗派の伽藍についても其々の意匠意向に於いて書院の形態や庭の鑑賞趣向も工夫が為されており、時間をかけても好い拝観の際の見所かと思います。

京都の地域表現

 京都市中は碁盤の目と表されますが、北へ向かうことを上る、南へ向かうことを下ると表現します。東へ行くことを東入る。西へ行くことを西入ると表現します。通りの名前も北から南に向かって 例えば、まるたけえびすにおしおいけ、あねさんろっかくたこにしき、しあやぶったかまつまんごじょう、と言った「丸」「竹」「夷」「二」「押」「御池」の頭文字を歌にして伝えてきたのです。

 京都御所を中心に南向きに東側を左京区、西側を右京区、北側を上京区、南側を下京区と呼びます。

 京都は、政治と王朝文化を融合させ、独特の雅を育み、粋や侘び寂びという精神文化を生み出してきました。

 したがって、その違いを体感する、或いは、見つめるといったことをお勧めしたいのです。

 但し、その千二百年の歴史が示す様に、京都人は甘くないのです。

 少々の知識をひけらかして知ったかぶりを気取ると、鼻の先で笑われた挙句に嫌われて、体良くあしらわれるか相手にされずに、箒を逆さまに立てられて嫌われます。

 最も嫌われるのは、常識の無い人間と物を大切にしない人間、そして、理性のない人間です。

 一言でいうと、それが、歴史を培ってきた人たちの阿りの無い品格と云うか、美学なのです。

 ですから、「一見お断り」や「愛想が無い」とみえる所為は、京都ならではの気品であり風格を形成してきた土台なのです。そこにも憩いの要素は潜んでいるのかも知れませんが。

 然し、ものは考えようで旅行者にしてみれば、対等の立場である筈なのに、宿や料亭が客を選ぶというアンバランスな風潮は本当に正しいのかを奈良も京都の関係者も一考の要があるのではないかと思うことも否めないのですね。

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